【考察】FF16に見る「FFらしさ」とは
2023年に満を持して発売されたFINAL FANTASY XVI。俺としては多少の不満点はあるものの総合的にはかなり満足度が高い作品だったのだが、残念なことに世間的には「凡作」の烙印を押されてしまった。
YouTubeなどには批判的なレビュー動画が多く投稿され、その内容やコメント欄には「爆死」「クソエニ」「こんなのはFFじゃない」「ナンバリングにふさわしくない」など否定的な意見で溢れかえっている。
挙げ句の果てにはクリエイターへの誹謗中傷という事態にまで発展しておりスクエニがカスタマーハラスメントへの声明を発表する事態にまでなっているのだが、一体何が彼らをそこまで駆り立てるのか。
そして「FFらしさ」とは何なのかについて思考を整理してみた。
以前書いたFF16のレビューはこちら
「FFらしさ」の定義は人それぞれ
FF16への批判は大まかに3種類
- FFらしくない
- ストーリーやゲーム性
- 便乗したいだけ
「3」は論外として「2」の言いたいことは分かる。ストーリーの展開やアクションの完成度といったゲーム内容についての批判だから俺も意見が一致する部分もあるのだが、「1」の「FFらしくない、だからFF16はダメ」という批判は全く理解できない。
とはいえ「らしさ」というのは極めて曖昧なもので人それぞれに解釈が異なるものだから、俺がそれを理解できないからと言って否定するつもりはない。「らしさ」を定義することは不可能だし、仮に定義したとしてもそれは意見の押し付けになりかねないから無意味なんだ。
でもそれだと話はここで終わってしまうので、この「FFらしさ」について
- 俺が考えるもの
- FF16に批判的な方のもの
- 製作陣の考えるもの
この3つの視点から見ていきたいと思う。
俺の考える「FFらしさ」
まずは俺が「FFらしさ」というものをどのように捉えているかについてなんだけど、俺の場合は極めて単純で「シリーズの共通項がその作品に含まれているか」その一点のみ。
めちゃめちゃ簡単に言うと「チョコボやモーグリがいて魔法があって召喚獣がいればそれはもうFFじゃん」ってくらいざっくり考えている。
FFシリーズの共通項とは
で、それを元にFFシリーズに多く共通する部分をいくつか挙げると
- クリスタル
- 召喚獣
- チョコボ
- モーグリ
- 魔法
- 機械の兵器、乗り物
- 失われた古代文明
どうだろう、FF16にも歴代のFF的要素が多くあるのではないだろうか。
クリスタルが物語に深く関わるのは久しぶりだし、複数登場するのも往年の作品を思わせる。剣と魔法の世界に、既に滅んだ超技術をもつ空の文明と機械の兵器。これまで補助的な立ち位置だった召喚獣をここまでメインに据えた作品もFF16が初めてだ。
俺はこれだけでFF16はめちゃめちゃファイナルファンタジーだと思っているし、むしろFF以外の何だというのか疑問すら覚える。
批判的な人の考える「FFらしさ」
では次は批判的な方の視点から見てみよう。ここでは例としてこの方の動画を使用させてもらう。
31万回再生されており、FF16のレビュー動画ではかなり伸びている。
内容は批判がメインで動画後半ではFFとは何かについて語られており「ナンバリングにふさわしくない」「FF失格」という発言もみられ、そのコメント欄は共感の声で溢れている。
肝心の「FFとは何か」について触れているのは45:10〜の内容。
抜粋、要約すると
FFのナンバリングタイトルはそれがリリースされるハードで、その時代の最新技術を使い国内最高の映像美と、最高の冒険をプレイヤーに提供するべく制作されてきた。
だから前作より劣る部分があってはいけないのに、閉所での音の反響や水の表現すら劣るものを出してきた。
同世代の他のゲームと比べても技術面、映像面、ストーリー性、ゲーム性など劣っている要素が多いからこれはもうFFではない。
それに加えてPS5の普及台数を牽引できなかった。だからFF16はナンバリングタイトルとしては失敗だしFF失格。
要するに「その時代を象徴する最高のゲームこそがFFであり、プラットフォームの販売台数さえも牽引できる力がないとFFのナンバリングタイトルとは呼べない」という主張。
- グラフィックが最先端でなければダメ
- ストーリー性やゲーム性が劣っていてはダメ
- ハードの販売台数を牽引できなければダメ
でなければFFとして失格。
なるほどなと。この方はFFに面白さ以上のものを求めているわけだ、そりゃ俺が理解できないのも仕方ない。とはいえ「他社より劣ってはいけない」「ハードの販売台数を牽引」など、あまりにも「FFらしさ」からかけ離れた「FFはこうあるべき」という理想を押し付けすぎではないかと思うのは俺だけだろうか。
気持ちは分かる。自分の愛するゲームは常に最高であってほしいというと思うのはごくごく当然の感情だ。しかし批判だけならまだしも個人の勝手な理想を押し付けて、あまつさえ「失格」などと断じてしまうのは傲慢が過ぎると思う。
製作陣の考える「FFらしさ」
ユーザー側の視点はこの辺りにしておいて、肝心の開発者達は「FFらしさ」についてどう考えているのだろうか。
歴代のスタッフ達の声を聞いてみよう。
北瀬 佳範(FF6、7、8ディレクター。FF10、10-2、13、13-2、LR、零式、7 REMAKE、7 REBIRTHプロデューサー)
25年以上『FFシリーズ』に関わってきましたが、どの作品に関しても常に新しい試みをしてきました。『FFシリーズ』に関わる者にとってそれは一つの宿命です。
制作に関わるメンバーに対しては自由にやりたいことをやってほしい。「自分だったらこうしたい」という強い思いを持ちながら、ファンの期待を超えていくようなチャレンジがFFらしさなのかな、と思っています。
これまでの『FFシリーズ』制作を振り返ってみると、私を含めた制作メンバー全員が、ただがむしゃらに作り続けてきただけ。その積み重ねの結果が今なので。
『ファイナルファンタジーVII リメイク』で始まる新たな挑戦。北瀬 佳範さんインタビュー 『ファイナルファンタジーVII リメイク』プロデューサー北瀬氏に、25年以上FFシリーズに関わってきた経緯や開発にかける思いについて語っていただきました。
北瀬佳範
『FFVI』のときか『FFVII』のときか忘れちゃったけど、チームが立ち上がって最初の打ち合わせで、坂口さんが「こういうプロットがあるんだ」と企画を5つくらい持ってきたことがあって。
ひとつひとつがA4用紙2枚くらいのもので、みんなにぱーっと配って、その中に“1997年、ニューヨークが舞台”で始まる企画書もありました。坂口さんは「こういうのでいいんだよ」と。
それはすごく印象に残っています。「お前らの考えている『FF』像や固定観念なんて気にしなくていいんだよ」というのは、そこで見せてもらいました。
WE ARE VANA’DIEL FFXI(ファイナル・ファンタジー11) 記念サイト WE ARE VANA’DIEL
坂口博信(FF1〜5ディレクター。FF6プロデューサー。FF8、10EP)
『FFV』のときは、僕と北瀬が「とにかく『FF』を変えよう」と、アイデアを出し惜むなんてことはしなかった。
それでからっぽになったとしても、またつぎは全力でアイデアを出して、ガラッと変えればいい。「青いウィンドウさえあれば何をしてもいいんだよ」
(FFとは)「足跡のない幾多の道を、ひたすらに生きる者たちで駆け抜け、最後には同じゴールに到達した後に生まれるもの」とでもさせてください。やっぱ、新しいことをつねに目指してたし(FF8制作当時)、今後もそうであってほしいよね。
北瀬佳範
『FF』関連のタイトルでは、開発スタッフたちが自分なりに“『FF』らしさとは何か”と、資料を集めて分析していることがあります。
それも必要でしょうが、過去の歴史から『FF』に入っていくことにとらわれず、もっと自由であってもいいかな、と思いますね。
『FF』を生み育てた男たちが初めて明かすエピソード――坂口博信×北瀬佳範レジェンド対談 – ファミ通.com 2014年12月18日。『FF』が生まれたこの記念すべき日を祝し、シリーズの歴史に名を刻むふたり――坂口博信氏と北瀬佳範氏の、初となる対談が実現。※本インタビューは、週刊フ…
吉田直樹(FF14プロデューサー兼ディレクター、FF16プロデューサー)
僕がFFXIVを担当することになったとき、先輩である北瀬さん(北瀬佳範氏)に「FFはそのときどきの担当者が最高だと思って作ったもの。おもねったり引き継いだりは誰もしてないから、そこは縛られないでほしい」と言ってもらったことがあります
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吉田直樹
ストーリーが深くて、ゲーム体験がすごくて、サウンドが最高で、グラフィックが良くて、チョコボとモーグリがいたら、僕の中ではそれは『FF』でいい。そこにどんなテーマを持ってくるかは毎回違うけど、あとは自由でいいんじゃないかと思っている
前作の良い評判も悪い評判も引きずらない、挑戦こそが『FF』
坂口博信
『FF』は透明感。アニメ的なねばっこい娯楽と比べて透明度があってドライ。そのなかで語ればなんとなく『FF』になる
システマティックなものをあえて表面化している理系的な感じ
田畑端(CCFF7、FF零式、FF15ディレクター)
もちろん「FF」として大事にしなければならない部分もあります。「挑戦すること」ですね。「これは挑戦している」と思える部分がなければ、少なくともFFとしては成り立たないと思います。
FFシリーズには何か規格外の部分が必要で、誰でも作れるようなものではFFとして出す意味がありません。受け手としてもワクワクしないでしょう。
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田畑端
特に明文化されたりしていませんし、誰かが統括して見ていたりするわけでもない。皆が持っている感覚の集積。
坂口さんがなんとなく持っていた「これが『FF』」という明文化できない大事な部分を、坂口さんと直接仕事した人たちがその後も継承している
野末武志(FF15ムービーディレクター)
(FFの)要素が入っているだけでは『FF』ではないんです。形だけ似せて作っても魂が入っていないと思います。
『FF15』が世界に対抗するための方法は? 映像作品 『KINGSGLAIVE』にゲームのネタバレはなし – 電撃オンラ… 『ファイナルファンタジーXV』について、フルCG映画の『KINGSGLAIVE』やセルアニメ『BROTHERHOOD』、発表会終了後より配信中の『プラチナデモ』の情報などをお届けします。
坂口博信
田畑さん(田畑端氏)だけじゃなくて、吉田さん(吉田直樹氏)と会ったときにも、「僕が作っているものを『FF』と呼んでいいんですかね」みたいな会話の流れになったときがあったのですが、「胸を張って『FF』って言えばいいじゃない」とは伝えましたね。
ふたりからは“挑戦しよう”という姿勢と覚悟がにじみ出ていたので。
野村哲也(FF7以降多くのキャラクターデザインを担当)
自分も『FF』を開発する際は、言葉では言い表せない一種の勘どころがあるのを感じます。
北瀬や自分は坂口さんと仕事をしてきたので、そういった部分を肌で感じ取っていると思います。
WE ARE VANA’DIEL FFXI(ファイナル・ファンタジー11) 記念サイト WE ARE VANA’DIEL
渋谷員子(FF1〜6ドットクリエイター)
その時代において最高のクオリティを提供すること
キャラクターデザインはもちろんのこと、デバイスや表現が変わっても、時代の頂点を求めるべきであり、ドット絵としても最高のクオリティを出すべき
【イベント】トップクリエイターが語る「FFらしさ」「王道RPG」とは…スクエニ採用説明会で行われた「FINAL … 12月2日、マイナビクリエイター主催による採用説明会がスクウェア・エニックス本社内にて行われた。同社のクリエイターによるトークセッションや座談会など、スクウェア・…
製作陣と一口に言っても現場を統括する責任者やキャラデザインを担当するスタッフまで様々。まして35年以上続くシリーズなのでこれまで開発に関わったスタッフも大勢おり、それぞれ考え方が違うのは当然だ。
ただ歴代ディレクター、プロデューサー陣の考える「FFらしさ」には共通する部分が少なからずある。それは「新しい試み」「自由な発想」そして「挑戦」だ。
坂口氏の「『FF』像や固定観念なんて気にしなくていい」「青いウィンドウさえあれば何をしてもいい」という発言や、北瀬氏の「おもねったり引き継いだりは誰もしてないから縛られないでほしい」「過去の歴史から『FF』に入っていくことにとらわれず、もっと自由であってもいい」という発言からは、固定観念に縛られずとにかく新しい挑戦を続けていって欲しいという姿勢を感じる。
ファイナルファンタジーは作品ごとに世界観も設定も異なる作品群だ。だから俺が思う「FFらしさ」として挙げた召喚獣やクリスタルといった要素が登場しない作品もある。
召喚獣がいるから、クリスタルがあるから、グラフィックが最先端でなければ、ハードの販売数を牽引できなければ、という話ではなく、各世代のクリエイターたちが「作りたい」「挑戦したい」と強く思い作り上げられたものがファイナルファンタジーなんだ。
FF16における「挑戦」とは
じゃあFF16の挑戦とは何かって話だけど、俺は大きく3つあると思っている。
1:現世代機での古典的ファンタジーの再現
FFのナンバリングタイトルは2009年に発売された13以来ずっと近未来的、近代的な作風が続いていた。古典的なファンタジーへの回帰は没個性的など否定的な意見も多く見られるが、これはFF7以前のFF1〜6のような世界を現世代機で再現するという挑戦だったのではないだろうか。
FF13シリーズでは浮遊する都市や乗り物など近未来的なデザインが採用されていたし、FF15では車が普通に存在するし高層ビルが立ち並ぶ現代的な街並みやベネツィアをモチーフにした水上都市があったりと、現実にありえそうな幻想世界というコンセプトだった。
一方でFF16は中世ヨーロッパがモチーフの古典的なファンタジー。剣と魔法の世界で生活水準も現代的ではないため、FF13シリーズやFF15との作風の違いは一目瞭然。だからFF13以前のFFを知らない世代やFF7、FF15の路線が好きな人ほどFF16は「FFぽくない」「FFじゃない」と拒否感があったのだろう。
2:アクションに全振りした戦闘システム
FFは昔からターン制バトルやATBゲージを採用してきたがFF12を皮切りに徐々に変化しており、最近ではFF7リメイクシリーズのようなアクションとコマンドバトルを上手く融合させたシステムも登場してきている。
そんななかでFF16はターン要素やコマンド要素を取り払い、これまで戦闘の補助的な立ち位置だった召喚獣をメインに据えた完全なアクションゲームとして生み出された。戦闘システムの大幅な刷新というのは大きな挑戦と言えるのではないだろうか。
ターン性のバトルに慣れ親しんできた人やアクションが苦手な人でもそれっぽく楽しめるよう調整されているし、アクションゲームが好きな人はよりスタイリッシュな戦い方を研究することもできることからも、幅広い層にアクションゲームに触れてもらいたいという開発の意図が汲み取れる。
3:言葉で語らない映像表現
FFの売りといえば美麗なムービー。その技術力の高さはPS1の頃から健在でPS2、PS3とその時代の最先端をいく映像技術には目を引くものがあった。とくにACFF7なんかは2005年の作品なので当時からその技術力の高さが窺える。
しかしPS4の世代になりスクエニ以外にもフォトリアルに強いメーカーが台頭しはじめ、ホライゾン、ラストオブアス、デス・ストランディングなど美麗なグラフィックかつシネマティックなゲームが数多く登場した。
PS5にもなるとその流れはより一層強まり、ただ映像が綺麗なだけでは褒められない時代になってきた。そんななかFF16が挑戦したのは言葉に頼らないシネマティックな映像表現ではないだろうか。
特に幼い頃のクライヴとジョシュアのやりとりは互いを大切に思う気持ちを、彼らが交わした言葉以上にプレイヤーに伝えてくれた。それはジョシュアの表情や声色、握りしめた拳など序盤のごく僅かなやり取りにしっかりと詰まっている。
クライヴとジルの間にある目に見えない感情、クライヴが奴隷として過ごした期間、ジルが鉄王国で受けた苦痛、シドとベネディクタの過去など、劇中で明確には描かれずともプレイヤーがその片鱗に触れることで解釈、想像する余韻を与えてくれる。
それは紛れもなく多くを語らない映画的な表現だ。言葉にしない感情が表情、動き、声から伝わってくるシネマティックなFFというのは新しいものだったと思う。
FFのあるべき姿なんて存在しない
製作陣の想いに触れてハッキリしたことがひとつある。それは俺たち一個人が語る「FFらしさ」なんてのは所詮個人の感想でしかないということだ。
面白い、面白くない、FFらしい、FFらしくない、どんな感想を抱くのも自由だが「◯◯であるべき」「◯◯でなければならない」などというのは勝手な理想の押し付けでしかない。
クリエイター達が自由に挑戦できる場所、それこそがファイナルファンタジーなのだ。
俺は作品ごとに作風、世界観、システムが大きく姿を変えるファイナルファンタジーが大好きだ。そこにあるべき姿を求めるなんて御法度、固着した価値観に縛られた窮屈なFFなど誰が見たいものか。
【結論】人気者は辛い
有名なシリーズの続編となるとどうしても普通のタイトルより期待値は大きくなる。FFを背負うというのはそれだけでもかなりの重荷だろうし、ましてあのFF15の次だから必ず成功させなければならないというプレッシャーがかかっていたのは想像に難くない。
それにこれだけ長く続いたシリーズだとユーザーが求めるものも多様化しているため、どんなものを作っても批判は来る。ドット絵を望むユーザーと最先端のグラフィックを望むユーザーが決して噛み合わないように、すべての人を納得させるものを作るのは不可能だ。
そんな状況でスクエニは、オープンワールドで自由な旅を提供したFF15とは打って変わって「こんなFFもあるよ」と言わんばかりに新しいものを見せてくれた。
だが残念ながら発売後の反応を見る限り、それはファンやゲーマーの期待を越えられるものではなかったのかもしれない。しかしそこには歴代のクリエイターたちが抱いてきた「新しいことをしよう」「挑戦しよう」という確かな意思が感じられた。
成功や失敗に関わらず、挑戦しようとする意思こそがFFをFFたらしめる。だからそれをいちユーザーが面白い、面白くない以上に「FF失格」などと断ずるのは傲慢なのだ。
俺はこれからも、挑戦を続けワクワクを与えてくれるファイナルファンタジーを、これからもずっと応援したいと思う。
【おまけ】Q&A
XでFF16に関するポストをしたところいくつか反響があったので、頂いたコメントをピックアップして俺なりの回答を書いてみた。
興味がある人はどうぞ
- 画面が暗い
-
わかる。
- ご都合展開がある
-
わかる。
- 性的描写がキツイ
-
正直俺も無くてもいいと思った。
特にベネディクタは多い、バルナバスのためなら手段を選ばないというのを表現したかったのかな。
全裸のバルナバスは「なんで?」とは思ったよ。
シヴァ継承のくだりはサブイベの白銀の君をメインに組み込んでそこでやっても良かったと思う。
- ストーリーが暗い
-
好みの問題。
- 復讐の物語だと思ったのに期待外れ
-
好みの問題。
- 体験版がピークだった
-
復讐の物語を期待してた人はそうかもね。
- 世界観的に魔法の存在意義が薄くファンタジー感が薄い(火を起こしたり水を出したりと替えがきくため)
-
家電は地球環境に悪いから明日から全部捨てて洗濯は手洗いで、料理は薪で火を起こせって言われたらできる?って話だと思うよ。
- クライヴの奴隷時代の描写が薄すぎる
-
序盤のクライヴがやたら無口なことやトルガルと再会しても感情が死んでること、あとはプロローグの仲間達とのやり取りを見てればなんとなく想像つくんじゃないかな。
- クライヴ自身もベアラー兵だったのにベアラーが石化して死ぬという事を知らなかったのはおかしい
-
クライヴはザンブレクのベアラー兵だから使い捨ての兵士である以上、岩に潰されて死んだビアストのように石化どうこうの前に戦死するのは目に見えてる。
それにベアラー兵達に他の人間やベアラーとの関わりがあったとも考えられないから知らないのも無理はないと思う。
- マザークリスタル破壊の動機が薄い
-
わかる。シドが調べたってだけで生活のインフラを破壊するテロ行為に加担したのはどうかと思うよ。
黒の一帯が広がる瞬間を目撃するといった描写があれば良かったけど。
- 今時エリア制はちょっと
-
逆にスカスカなオープンワールドも地獄だから中途半端に作るくらいならエリア制でいいと思う。
- 一本道ゲー
-
同上。
- ダッシュが自動
-
わかる。足遅いよね、かと言ってチョコボも早いわけじゃないから不便だった。
- 大きな街に行けない
-
わかる。せっかく国ごとに文化が異なるのにもったいない。世界を見て回りたかったけど主人公がテロリストだから難しいよね。
- ミニマップがない
-
最近そういうゲーム増えてるね。迷うほどのマップも無いし別にいいと思う。
- 主人公しか操作できない
-
一理あるけど召喚獣の技を切り替えて戦うというシステム上、ジルやジョシュアを操作するイメージが湧かない。
- 仲間がいるのに一緒に戦ってる感覚がない
-
アクションRPGとはいえDMCにかなり近いので、ロールプレイの要素が薄いのは仕方がないと思う。
- 育成要素が死んでる
-
同上。
- 属性要素がない
-
同上。属性があるとアクションゲームとしては窮屈になる。
- 召喚獣を入れ替える必然性がない
-
属性がないことも原因の一つだし、ダメージ効率で最適解を求めるとそうなる。だからDMCみたくコンボを色々考えられる人は楽しめると思う。
- 召喚獣バトルが長すぎる
-
わからなくはない。タイタン、バハムートは超長いよね。俺は楽しかったけど人によっては飽きるかも。
- QTEはいらない
-
別にあっても困らないと思うけど、逆にいらない理由は何?
- ラスボスが神とか拍子抜け
-
今更だと思う。むしろFFのラスボスって神とかそれに匹敵する存在ってのが多いと思う。