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PS3/Vitaストアは2027年7月に終了…。
いやー、本当にお疲れ様でした。時代の移り変わりを感じますね。2006年から20年も稼働し続けていたなんて感慨深いですよ。一度は2021年に閉鎖が発表されたものの、それが撤回されて6年も延長してくれるなんてね。
ディスクがプレミア化したPS1やPS2のソフトが安価に買える唯一の手段なんで、みんなも気になるものは早めに買っときましょう。
ちなみに俺は
を買いました。PSPにでもダウンロードしておけばいつでも遊べますからね。便利ですよこりゃあ。当時大人だったらもっともっと使い倒してただろうなぁ…。
寂しいけど仕方ないね…。
で、本題はここからなんですけど、
先日とある爆弾が投下され、PS界隈に激震が走っております。

うっそーーーん!!
…とはならなかったよ。
まあこれも時代かね…。ここ5〜6年で音楽も映画もデジタル化してるからゲームもこうなっていくのも不思議じゃないよね。PSは特にサブスク加入で遊び放題のゲームカタログとかもあるからデジタルコンテンツが豊富だし。

時代はデジタルとかw
任天堂はパッケージの売り上げも盛り上がってますけど?
うーん…それって単純に客層の違いじゃない?年齢層とかターゲットとか色々あるやん?
まあ任天堂だってデジタル売上は50%を超えてるしさ。俺だってSwitchで購入したソフトの9割はDL版だし、FF7リバースとかモンハンワイルズもDL版で買ったし、着々とゲーム文化のデジタル化というのは根付いていっているのかなと思います。

ともあれ今回の出来事をまとめると「パッケージ派の皆様、完全◯亡」ということなんですけれども、そんななかXではパッケージ派の皆様が荒れに荒れております。

PS6はデジタル強制かよ!

ダウンロード版はストアが閉鎖されたら遊べなくなるじゃないか!
というSONYに対する不満の投稿が絶え間なく流れTLを埋め尽くしておりますが、まあ…理解できる意見もあります。デジタル販売そのものにリスクがあることは否定しないです。
でも…

物理販売が無いならPSは引退して任天堂に移行するわ。

任天堂は物理販売をしてくれる最後の砦だな。

SONYのやり方は利益至上主義、やはり任天堂はユーザー目線。
という一瞬固まってしまうような意見も散見されまして、どうにもデジタル化のリスクをPlayStationだけの問題として語るその姿勢には違和感を感じています。
彼らの世界において任天堂は業界の良心的存在として持ち上げられがちではあるけれど、本質的にはSONYも任天堂も同じだと思ってます。
要するに
SONYを叩いたその口で任天堂を称賛するのはダブスタじゃないですか?
と俺は言いたい。
で、今回の発表に関しては多くの人が誤解しがちな事が一点あって
「ディスクが廃止」というだけで「パッケージが廃止」ではないんですよね。
直近の例だと「GTA6」ですね。あれはDL版のみの展開でディスク版は用意されていません。

理由は諸説ありますが一応パッケージはありますがその中身はDLコードが書かれた紙ペラ一枚で、このような販売形式は「コードインボックス」といわれています。
で、そういった売り方がされているものはSwitch2にも少なからずあります。
など。
なので2028年以降、PSソフトでコードインボックスの形式か取られる可能性はあります。ただそれが受け入れられているかというのはまた別の話ではあるんだけど、少なくとも「PSからパッケージが消える」というのは眉唾です。
知っての通りいまやXBOXは完全にデジタル化しております。ゲームパスというサブスクを主軸に物理メディアからはほぼ完全に撤退している状態です。
で、今回のPSの発表はその後を追うような形になり、より一層ゲームのデジタル化の波が日本にも押し寄せてきているわけです。
そんな時代において物理販売を継続している任天堂を讃える声が後を絶たないわけですが…先日ある投稿を目にしまして
Menos mal que tenemos a Nintendo y su amor por el formato físico. pic.twitter.com/EKhMzWKXIO
— Classic Gaming (Roberto) (@ClassicGaming80) July 5, 2026
Copilotによる翻訳だと
「Menos mal que tenemos a Nintendo y su amor por el formato físico」
ニュアンスを保ちながら日本語にするとこうなります。
「任天堂が物理メディアを愛してくれていて、本当に助かるよ。」
もう少し口語的にすると、
スペイン語の Menos mal que… は「〜でよかった」「〜のおかげで助かる」というニュアンスなので、このあたりが自然な訳になります。
…これツッコんだほうがいいのかな?
Switch2で採用されているキーカードは見た目こそこれまでと変わらないカードリッジですけど、カード自体にはゲームデータが収録されておらず、その名の通りデータをダウンロードするための認証キーとしての役割があるだけです。
つまり、その実態はダウンロード版と何ら変わりません。物理媒体を残しているように見えてもストアへの依存という意味ではPlayStationのディスク廃止と本質的な違いは無いです。
違いがあるとすれば「中古で売れるかどうか」その一点のみです。
俺も子供のころはハードオフが大好きで中古市場にも一定の価値やメリットがあるという意見は理解してますが、それもメーカーへの利益の還元という点を鑑みると個人的には懐疑的です。

そんな事はいち顧客が考える必要はない。
という意見もごもっともなんですけど、クリエイターに還元される利益もちゃんと考えないとゲーム文化そのものが先細りしていくので、全く考えないのもどうなのかなと思うんです。
やっぱり商売なので儲からないと続けられないし意味がないですよね。どれだけ中古を買って「おもしれー!」って盛り上がっても、メーカーには一円も入らなければ続編も新作も出ませんからね。
この先も多様なゲームが遊びたいのであれば、新作を買って応援というのが一番いいのかなと最近は思います。
今のところ任天堂ファースト作品でキーカードの採用はありませんが、先ほどのXの投稿に写っているソフトのうちキーカードではないものは左上のオバケイドロ2のみ。しかしそれもコードインボックスです。
御覧のようにサード各社のキーカード採用率は非常に高い状況です。当然ではありますがこのキーカードは将来的にSwitch2のサービスが終了したら、ひとつ残らずただのプラスチックの板切れに成り下がると同時に中古としての価値も失います。
それはDL版と一体何が違うの?
任天堂もキーカードという実質DL版を採用した以上「物理販売の最後の砦」という評価は妥当ではないです。キーカードもDLを前提とした販売方式である以上、デジタル販売のリスクは任天堂にも平等に降りかかります。
任天堂とて決して例外ではないのです。各社形は違えどデジタルを活用したソフト販売に移行しているなか、形式が物理かどうかなんて言うのはもはや些細な問題です。
ゲームを長く遊びたいのであれば「物理版だから安心」ではなく「デジタル時代にどう資産を残していくか」を考えるフェーズに移ったのではないかと思っています。
PS3がストアを終了することで「いずれPS5も」と不安に感じている方も多いことでしょう。しかしそれを受けてキーカードで展開しているSwitch2に乗り換えたとて、残念ながら将来的には任天堂も同じようにストアサービスは終了するでしょう。
デジタルである以上、残念ながらそれは避けられません。ただ最古参のWiiの購入済みダウンロードが2026年現在でも可能であることを考えると、本当の意味でソフト資産がパァになるのがいつになるのかは誰にも分かりません。
でも、俺は少なくとも現時点ではPlayStationの方がソフト資産を長く維持できる可能性が高いと考えています。
それはPS4から明確に変わりましたが、そこにはPS3での手痛い失敗があったからなんですね。
PS3ではCELLという独自アーキテクチャを開発し「性能」と「野望」を詰め込んだ野心的なゲーム機だったんですがこれがとんだじゃじゃ馬でした。高性能の代償として開発の難しさが問題視され、多くの開発者が苦労を強いられることになってしまったんです。
その反省からPS4ではPCで広く採用されているx86アーキテクチャへ移行し、互換性を意識した設計に生まれ変わりました。つまりPS4以降は尖ったゲーム機というよりも、PCに近い汎用的なプラットフォームに進化したわけです。
ソフトが開発しやすく、ソフト資産を長く活かせるプラットフォームへ
その結果PS5ではPS4タイトルとの非常に高い互換性が実現しました。99.9%のPS4タイトルがパワーアップして動作し、ユーザーが積み上げてきたライブラリも自然な形で引き継がれたんです。
「互換性」と「ソフト資産の継承」を重要視している以上、PS6への世代交代でPS4やPS5ソフトのサポートを終了してしまっては本末転倒です。
よってPS5以降も同じアーキテクチャが採用される可能性が高いため、今のPlayStationは世代をまたいで互換性を維持しやすい構造になっています。
一方で任天堂は少し事情が異なります。
任天堂は昔から「ハード・ソフト一体の遊び」を何よりも重視してきた会社です。その時代ごとの新しい体験を生み出すことが任天堂の強みであり、世代交代のたびにハード設計も大きく変化しています。
しかしその代償として度々ソフト資産の断絶も起きています。互換性は一、二世代ごとに切られ、オンラインストアも比較的短いサイクルで世代交代してきた歴史もあります。
まとめると、任天堂は「世代をまたいでソフト資産を維持する」ことよりも「新しい体験を提供することを重視する」企業だと言えます。
Switch2ではSwitchとの互換対応が行われていますが一部タイトルでは動作に問題が確認されており、互換性の維持が決して簡単ではないことも開発者へのインタビューによって明らかになっています。
「Switchのハード構造だからこそ、うまく動いていたソフトもあるんです。」
「それがSwitch 2 ではプロセッサーの数が増えて処理速度が上がり、メモリー容量も余裕のある状態になったことで、処理のタイミングがSwitchとは異なってしまい、動かなくなるソフトが出てきてしまうんです。」
Colilotによる「互換の技術的な解説」
一言でまとめると
- PS4→PS5は“同じ系統のコンピューター”なので互換が簡単。
- Switch→Switch2は“コンピューターの仕組みが大きく変わった”ので互換が難しい。
- さらに任天堂公式が言うように、Switch2は 「完全エミュでもなく、完全互換でもない“中間の仕組み”で翻訳しながら動かしている」 → だから互換は“できるけど簡単ではない”。
PS4→PS5はなぜ簡単なのか
同じ種類のコンピューターだから
- PS4もPS5も x86-64(PCと同じ系統)
- CPUの“言語”がほぼ同じ
- GPUも同じAMD系の進化版
- OSの仕組みも近い
つまり、 PS4のゲームがPS5にとって“そのまま読める文章”になっている。
→ 互換はほぼそのまま動くレベルで簡単。
Switch→Switch2はなぜ難しいのか
コンピューターの仕組みが大きく変わったから
SwitchとSwitch2はどちらもARMだけど、
- CPUの世代が大きく違う(A57 → A78C)
- GPUの仕組みが完全に別物(Maxwell → Ampere)
- メモリの速度や構造も違う
- Switchのゲームは古い仕組み前提で作られている
つまり、 SwitchのゲームがSwitch2にとって“そのままでは読めない文章”になっている。
Switch2は
- Switchのハードを入れていない(PS5方式ではない)
- 完全エミュでもない(PCのエミュみたいに重くない)
その代わりに Switchの命令をSwitch2向けにリアルタイムで変換して動かす。
これはまさに
Switchの言葉(古い命令)を、Switch2の言葉(新しい命令)に同時通訳している ということ。
だから互換は
- “できる”けど
- “簡単ではない”し
- “完全一致ではない”
という状態になる。
まとめると
◆ PS4 → PS5
- 同じ言語
- 文法もほぼ同じ
- 読み方もほぼ同じ → そのまま読める(互換が簡単)
◆ Switch → Switch2
- 言語が違う
- 文法も違う
- 読み方も違う → 翻訳が必要(互換が難しい) → 任天堂公式:「ハード互換とソフトエミュの中間方式で翻訳している」
PS4→PS5は“同じ系統だからそのまま読める”。 Switch→Switch2は“仕組みが違うから翻訳が必要”。 任天堂公式も「中間方式で翻訳している」と説明している。
何よりもSwitch2はすでにSwitchシリーズの完成形にかなり近づいています。マウス操作とチャット機能が追加された以外に新しいギミックはなく性能向上が主な進化です。
任天堂はハード・ソフト一体の新しい体験を提供することを重視する会社である以上、Switch2を単純にスペックアップさせただけのSwitch3を出すとは考えにくいですよね。
となると、任天堂の次なる一手はSwitchとはまた別のアプローチの可能性があります。もしそうなればSwitch、Switch2ソフトとの互換もまた途切れてしまうかもしれません。
ただ、ここまで話してきた両社の未来は過去の傾向に基づいた憶測でしかないです。「絶対こうなる」と言い切ることはできませんが、PlayStationはソフト資産を世代を超えて残していく方向性を既に示しています。
PS2ではPS1が、PS3ではPS1とPS2が動きました。旧世代のチップを積んで無理やり互換性を持たせていた時代もあったが、技術的に互換が容易になったいまその思想を反映することもまた容易です。
デジタル時代においてライブラリを長く維持するという点で見れば、現時点ではPlayStationの方がその方向へ進もうとしているように見えないだろうか。
デジタルに依存した販売が主流となる時代において「購入したソフトを次世代でも遊び続けられる」という価値は、今後ますます重要になっていくだろう。
デジタル版の話で触れておかなきゃいけないものが一つあって「PS Storeで購入したStudioCanalの映画がライセンス終了によって視聴できなくなった」というニュースなんだけど

ここを起点として「こんな風にゲームのDL版もある日突然消える可能性がある!」と言う人がいらっしゃるわけですが、それはさすがに飛躍しすぎではないのかなと。
いや、言いたいことは分かるんですよ。
「買ったものが消えた」
この事実だけを見ると確かに衝撃ではあるんだけど、前提として映画やドラマは権利元との契約によって提供されるコンテンツなんですよね。
NetflixやPrime Videoといった大手ストリーミングサービスで配信タイトルが入れ替わるように、権利元とのライセンス契約が終了すれば当然視聴できなくなるわけです。
でも、映画とゲームでは権利の構造が違います。今回の映画の話はSONYが権利元に金を払って配信させてもらってるものです。しかしゲーム事業はデベロッパーがPlayStationという市場に向けて発売することでSONYがマージンを得ています。
つまり
映画は、権利元にお金を払ってSONYの店(PlayStation)に置かせてもらっているもの。
ゲームは、メーカーがSONYの店(PlayStation)で販売し、その売上の一部をSONYが貰っている。
お金の流れ、主従が全く違うんですね。
なので、少なくとも映画のように権利契約の終了だけを理由として、購入済みタイトルへのアクセスまで一律失われるとは考えにくいです。だから「映画が配信停止になったからゲームもそうなる」とは一概には言えないんです。
というか、そもそもデジタル販売って実質「レンタル権」とか「アクセス権」とか言われてて、権利元の都合で簡単に取り上げられちゃうから完全に所有できるわけではないんですよね。
で、それってなにもPSだけの問題じゃないです。
電子書籍、音楽、ゲーム。Switch2、Xbox、steam、全部そうです。ある日突然購入したコンテンツにアクセスできなくなる可能性なんて他の媒体でも全然あり得る事なので、これを槍玉にSONYを叩くのはねー
それはちょっとねー、世間は許してくrえゃすぇんよ
ここまで読んでもらえればわかると思うんですけど、PSも任天堂も「いつか遊べなくなるリスク」という点では同じです。根本的な問題は「デジタル販売の仕組みそのもの」なんです。
世間で言われているデジタル販売のリスクというのは、どのメーカーにもあります。
ですが、Xで大暴れしている方々は
という話ばかりが取り上げ、任天堂が比較的早期にストアを終了してきたことや
Switch2で数多く採用されているキーカードのデメリットなど、任天堂側の事情にはほとんど触れません。同じ「デジタル依存」の問題なのにPlayStationだけが槍玉に挙げられる。これでは公平とは言えないです。
ソニーを批判すること自体は自由ですが任天堂だけを特別扱いし同じデジタル版の問題を見過ごすのであれば、それはタブルスタンダードだと言わざるを得ないです。
繰り返しにはなりますが、これからの時代はゲームを長く遊びたいのであれば
「物理版だから安心」
ではなく
「デジタル時代にどう資産を残していくか」
これを考える必要があります。
その時どのハードを選ぶのか、俺は迷わずPlayStationを選びます。
でも今回のディスク終了の話には、利益とは別のある目的があると睨んでいる。
結論から言うとディスク終了は「PlayStation 6シリーズ」を成立させるための前提条件。流通コスト削減でもサブスク誘導でもなく、もっと根本的な次世代に向けた改革のための布石ではないかと思っている。
すでに噂レベルで出回っているがPSは次世代で据え置き機とは別に、Switch型のハイブリッドではなく携帯専用のスタンドアロン機を検討していると言われている。というか、今の市場を見れば当然の流れだろう。
Armによる超低消費電力のSwitch2を筆頭として
これらハンドヘルドデバイスの隆盛。そして
これらが示しているのは
Armでなくても省電力でPS4〜PS5に近い体験が可能になった
つまり携帯専用のPSが技術的に成立する時代がようやく訪れたということ。しかも主要ハードメーカーで携帯機に参入していないのはSONYだけ。だからSONYがこれを見逃す理由はないです。
しかしここで問題になるのがディスクという物理メディア。Switchのようなカード型ならまだしもディスクは携帯機の構造的にディスクドライブを乗せることが難しい。
仮にカード型になったとしたら据え置き版と媒体が変わってしまうため、シームレスな体験を得るためにはソフトを据え置き版のディスクと携帯機版カードの二種類を買わなくてはならない。
それではユーザーに負担を強いるだけ…決して賢い判断とはいえない。物理媒体を続ける限りPSの携帯専用機は永遠に実現できないのだ。
それを解決するためにSONYが目指しているのは
物理メディアを廃し、据え置き専用機(PS6)と携帯機のライブラリを完全共有すること。
ソフト資産をハードの形が変わっても継続させるには、どこかのタイミングで物理メディアを消す必要がある。PS5Proのディスクドライブが完全にユーザー任せのオプション制なのもその一環で、完全移行するのが2028年というわけだ。
仮にディスクを残したままPS6が出たとして、好んでディスク版を集めていたユーザーが後から携帯機を購入しても積み上げてきたソフトは遊ぶことができず、また買い直さなくてはいけなくなってしまう。
同じ世代の同じブランドのゲーム機なのにライブラリが共有できないと致命的な矛盾が生まれてしまう。これではユーザーを失望させてしまうだけだ。
だからこそDL版に統一することで次世代のPlayStationを、据え置きや携帯機を問わずひとつの巨大なエコシステムにするという方向へ舵を切ったのではないだろうか。
これは単なる販売方式の変更ではなくPlayStationが次のステップに進むための第一歩だと言える。そう考えると今後の動きにますます目が離せない。非常にワクワクする展開ではないだろうか。
ディスク廃止への反対運動とか起こってますけど…もうね、多分どれだけ騒いでもゲームのデジタル化は止められません。
なのでこれから重要なのは物理かDLかではなく、積み上げたライブラリをどれだけ未来へ持っていけるかだと思う。
そして、現時点でその方向を最も強く示しているのがPlayStationだと俺は思っている。
だから俺は今後もPlayStationをメインに選ぶし、任天堂ハードは今後も任天堂独占タイトル専用機として愛用させてもらう。
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」のリメイク、2026年発売だってね。思ったより早くて驚いてるよ。
楽しみだね。
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