➤評価別
➤ハード別

新生活がスタートしてはや一ヶ月。絶賛五月病を患っている俺はフレッシュな新人たちの眩しさに当てられつつも日々業務にあたっているわけだが、近頃子持ちのママさん達の間で「子供にSwitch2をねだられている」という話題が頻発している。
職場の親御さんや親戚に甥っ子姪っ子、ネットの意見を見てみても、やはり子供に買い与えるゲーム機は任天堂というのが圧倒的多数。それ自体に何の問題もないのだが、俺が気がかりなのはその理由だ。
「周りがみんな持ってるから」「話に入っていけないから」子供にとっては切実かつ強力な動機ではあるものの、俺から言わせればそんなものは鼻くそ以下だ。
これは子供に限らず大人にも言える事なんだけど、動機が自分の中にある感情ではなく周囲の環境に依存している場合、それに費やす時間やお金は限りなくゴミであると断言する。
自分が好きじゃないものをなぜ買う必要があるのか、遊ぶ必要があるのか、揃える必要があるのか。周りが飽きたら自分も飽きるのか、別の流行りが来たらまた新しく買うのかって話。
勘違いしないで欲しいのは、俺は欲しがっているものを買い与えない方がいいと言っているわけではない。もし俺に子供がいて本気でSwitch2を欲しがってるなら迷わず買うだろう。ゼルダがやりたい、ポケモンがやりたいとか自分の興味から欲しがっているものなら全然OK。
でも「みんなが持ってるから」「話題に入れないと浮くから」みたいな、他人と仲良くするためのアイテムとして扱われ、さもそれが無いと人と仲良くすることすらできないかのような、外側からの圧力で買わざるを得ないと言うのはどうにも気持ちが悪い。
「また親プレステ派の奴がネガキャンやってるよ」って思うかもしれないけど、たとえ学校で流行っているのがPS5だとしても、それを同様の理由でねだられたら俺は同じように嫌悪感を示す。
「お前は仲良くしてもらうためにゲームを買うの?」と俺は我が子に問うだろう。
小中高問わず学校というのは極めて狭いコミュニティだ。大人から見ればごくごく小さな世界だが、子供にとってはクラスと家庭が世界のすべてと言って差し支えない。
なかでも小学生の世界ははっきり言って異常だった。俺にとっては20年ほど前だが、声がデカいか足が速ければモテるという意味不明な価値観がまかり通る世界だった。
走り方が変だとか、吃音とか音痴とか天パとか、学校でウンコしたとか、スマホを持ってないとか、iPhoneじゃないとか。大人から見れば本当にくだらない些細なことが原因でイジられ、嫌がらせやいじめを受ける世界。
そこでは自然と「周りと違う=浮く=輪に入れない=いじめられる」みたいな方程式が出来上がっていき、子供たちはそんな小さな教室でハブられないためにもがいている。これは令和の子供達もおそらく変わってないはず。
そんな子供たちが周りと話題を合わせるため、ハブられないためにゲーム機を欲しがるのはある意味自然なことだ。
それでも…それでも俺は問うことをやめたくはない。
端的に言うと「周りで流行ってるから自分も買うという行動は果たして健全だろうか」と俺は皆に問いたいわけだ。
「友達がやってるからスプラ3買いました」
「配信者の参加企画でマリカ買いました」
「彼氏がやってるからモンハン買いました」
これらはどれも俺の身の回りで起きた事例だけど、全員もうそのゲームで遊んでません。
友達が別のフレと遊ぶ機会が増えて自分と遊ぶ機会が減ったから、配信者がそのゲームをやらなくなったから、彼氏にフラれたから。そういった外的要因でゲームをやらなくなるパターンを何度も見てきた。
モンハンの人は途中までやってたのに全クリせずにやめてしまったし、マリカとスプラの人はゲーム自体を起動することもなくなってしまった。
で、その人達が今何を遊んでいるのかというと、また新しいフレや配信者を見つけてAmong Usやスマブラ、エペ、ヴァロ…。
結局、そういった目的で買ったゲームは「他者とのコミュニケーションの口実」でしかなくなっている。
思うに、主体性のない人生はただの消化試合でしかなく、他人依存の生き方でしかないと俺は考えている。SNSで誘われ待ちしてるだけのパターンとかまさにその典型。
ハブられないことが至上命題だから自分から積極的に輪に入ろうとしない。他人軸で生きてるから好きなものが相手によってコロコロ変わるし、自分の楽しみくらい自分で見つけるべきなのにそれすらできない。
結果、そういう人は自分は何が好きなのかも分からないまま、ずっと受け身で趣味と時間を消費し続けることになる。
「自分は何が好きなのか」「自分は何がやりたいのか」それが見えない。子供時代に「周りに合わせる」ことだけを覚えて育つと、大人になってもこうやって他人軸で流され続けることになる。
だから子供のうちから自分軸で何がしたいかを決められるようになりましょう、会話の輪に入るだけじゃなくて自分から輪を作れるようになりましょうよってこと。
他人に合わせるだけで自分の好きを語れない人より、自分の「好き」を明確に持っているほうが、人としても魅力的だと思う。
なによりも他人に合わせるだけで主体性がない趣味・娯楽ほど無駄な時間はない。今のゲーム機なんてどんなに安く見積もっても5万円以上する高い買い物なんだから、自分から積極的に楽しめよって話。
断っておくけどみんなで遊ぶことそのものを悪いと言うつもりはない。
Apexなど各種FPS、マリカ、スプラ、Among Us、人狼、大勢でワイワイ楽しむこともゲームの楽しさのひとつだ。
ゲームが人と人とを繋ぐことも全然あるし、それを友達と遊ぶためのツールや社会とのつながりにするのは全然アリだけど、ゲームの楽しさってそれだけじゃないだろと俺は声を大にして言いたい。
ゼルダなら謎解きのカタルシスや魔王と戦い世界を救う壮大な冒険。ポケモンなら自分だけの相棒を探して育てる喜び。モンハンやダークソウルなら試行錯誤して上達する快感。FF、テイルズ、ニーア、デススト、ラスアスみたいな心揺さぶられる物語体験。
孤独を逃れるためや誰かと遊ぶためだけではなく、そういう積極的な楽しみ方ができてこそゲームには価値があるのではないだろうか。
俺は幼いころからそんな体験を多くしてきたし、我が子にも同じことをさせてあげたいと思う。
だからもし子供が「これがやりたい」と具体的に言ってきたらSwitch2だろうとPS5だろうとXboxだろうと買い与えるだろう。もちろんそんな大金持ちじゃないから限度はあるだろうけど。
つい先日Switch2すらも値上げしてしまった。もはやファミリー向けの任天堂ハードでさえ気軽に買える値段ではないご時世だ。
それならば、どうせ買うなら他人と話を合わせるための、孤独にならないための消極的な道具じゃなくて、自分の世界を広げる積極的な道具にしたほうが有意義だと思う。
だからもし、現在進行形でゲーム機を我が子にねだられている親御さんがこれを運よく読んでいるのであれば「なぜそれが欲しいのか」をきちんと聞いてみてほしい。
そのとき出てきた理由が自分軸なのか他人軸なのか、それによっては中長期的にその子の今後を左右する可能性は否めないからだ。
それが正しいか間違っているかなんて俺には言えないけど、少なくとも周りがどうとかではなく自分がどうしたいかで決められる人間になるべきだと俺は思う。
Switch2が欲しい?ぽこあポケモンがやりたいから?
どうして?かわいいから?面白そうだから?
いいじゃないですか、買いましょう。
そのゲームはなにが面白い?どんなところが好き?
それが答えられたら花丸100点です。
自分の感情を言語化すること、しっかりと自分の意思を持つこと。きっとそれは大人になっても大事なことだと思うから。
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