【考察】テイルズオブアライズが継承できなかったもの

お前何回アライズの話するんだよって言いたいのは分かる、俺も思ってる。

だけど前に書いたレビューは感情100%で内容も散らかってていまいち俺の主張が伝わりにくい構成だったから、今一度ここに記しておく。

ここに書いてあることが俺がアライズに言いたいことの全てだ。

これで本当に最後にするから、お願いだから見逃してほしい。

【注意】記事の内容上ネタバレを多分に含むので、未プレイの方はブラウザバック推奨。

目次

導入

一応「テイルズ オブ アライズ」について解説しておくと、本作は全世界300万本を突破した大ヒット作。ゼスティリアでの世紀の大炎上からしばらく音沙汰がなく、人気低迷と言われたシリーズを再生に導いた起死回生の一本。

「継承と進化」というテーマを掲げ、グラフィックやバトルシステムは歴代シリーズから大幅な進化を遂げていて、戦闘のテンポや爽快感、演出の完成度はシリーズ随一。

なかでも注目すべきはグラフィックで、発表されたアライズのPVを見た時その美しいビジュアルに惹かれた人も多かったのではないだろうか。アトモスシェーダーによる独特のビジュアルは、間違いなくセルルックの表現としてはひとつの到達点だと言ってもいい。

2026年5月にはDLCを同梱した完全版がSwitch2での発売を予定しており、幅広いユーザー層がテイルズオブシリーズの最新作に触れられるようになることを嬉しく思う。

しかし俺個人としてのアライズへの評価は芳しくない。その理由を落ち着いて論理的に考えた結果、

アライズにはテイルズとして本当に大切なものが欠けていた

という結論が出た。

なぜそう思ったのか、今日はシリーズ全体を俯瞰しつつ話していこうと思う。

テイルズにおいて一番大切なもの

それは「物語」だ。

キャラクターたちが織りなす出会い、別れ、葛藤、衝突、決意、選択。

何年経っても語り継がれるのは、バトルシステムではなく心を揺さぶる物語だ。

本シリーズが冠するその名の通り

「テイルズ」とは「物語」なのだ

テイルズが描いてきたもの

テイルズオブシリーズは作品を象徴するような固有のジャンル名が使用されている。

  • 君と響き合うRPG
  • 「正義」を貫き通すRPG
  • 守る強さを知るRPG
  • 揺るぎなき信念のRPG
  • 君が君らしく生きるためのRPG

それぞれ世界観やキャラクターは違えど、共通しているのは「正義と正義、信念と信念のぶつかり合い」という要素。

初めはただの悪党にしか見えなくても物語が進んでいくとその背景には大切な存在を奪われた過去や、不条理を押し付ける世界への怒りや、孤独ゆえの寂しさといった想いを抱えていることが判明したりする。

そうしていくうちに、主人公たちの掲げる正義は本当に正しいものなのか?という葛藤が生まれ、その物語はプレイヤーに「正義とは何なのか」という問いを投げかけてくる。

テイルズの物語は単純な勧善懲悪ではなく敵側にも信念や正義と呼べるものがあり、そうならざるを得なかった背景がある場合がほとんどだ。

物語の傾向も種族対立、差別、迫害、復讐といった重いテーマを扱うこともあり、そういった世界の中で描かれる重厚な人間ドラマこそがテイルズの核であり「らしさ」だったのは疑いようもない。

アライズが描こうとしたもの

アライズのテーマは「心の黎明」。黎明とは「夜明け」「新しい始まり」を意味する。

奴隷であるダナと支配者であるレナ、差別と偏見、支配からの解放とその先にある相互理解、共存。まさに二つの世界の夜明け、新しい世界の始まりを描く物語だと言える。

人間牧場とか人間のクローンとか倫理観の終わってる設定も過去にはあったが、今回は奴隷階級や社会構造そのものに問題があるため世界観の暗さは歴代でもトップクラスだった。

そんな非情な世界で生きる者達の物語が、幻想的なグラフィックと共にドラマチックに展開されるはずだった。

深みと説得力の欠落

しかしアライズには物語の深み、説得力が決定的に欠けていた。

  • ボーイミーツガール
  • 記憶喪失の主人公と特別な力
  • 支配者とそれに抗う者

物語を構成する要素は王道かつ分かりやすく、ゲームとしての素晴らしい外見も備えているため新規ユーザーにも受けやすい。表面的には非の打ち所のない作品に見える。

しかし物語が進んでいくほどに誤魔化しきれない違和感が出てくる。

問題点は大きく二つ。

ひとつは、物語の根幹に関わるレベルの設定の齟齬があること。

もうひとつは、作品を通して伝えたいメッセージが先行するあまり、物事の負の側面に目を向けず綺麗なものだけしか描いていないことだ。

重大な設定の齟齬

炎の剣とアルフェンの無痛

アルフェンの象徴である炎の剣は火の星霊力が具現化したもので、凄まじい威力を誇る一方で使い手すら焼きつくすというデメリットを抱えている。

実際、痛みを感じないアルフェンでさえ、カラグリアを開放した時に放った炎の影響で消し炭寸前になり一週間も寝込んでいた。

そんな重傷を負いながらアルフェンが炎の剣を使い続けることができたのは、彼が痛みを感じないからなんだ。

そもそも星霊力を剣として具現化できるのは王の力によるものなんだけど、大事なのはそこではなく「痛みを感じない」という部分だ。

「触れると痛い女」と「痛みを感じない男」という対になる設定の通り、アルフェンは痛覚が無いからこそシオンに躊躇いもなく触れられたし炎の剣を振るうことができた。

この物語はアルフェンの痛覚が無かったからこそ始まったんだ。「痛覚が無い」という設定は彼の象徴であると同時に、物語の根幹に深く関わる設定なのだ。

にもかかわらず、それが破綻してしまう。

ヴォルラーンの襲撃によってアルフェンの仮面が完全に砕けたことで、彼は記憶と痛覚を取り戻すのだがその後も当たり前のように炎の剣を使っている。

当然、疑問に思わないわけがない。これに関して登場人物達はこう語る

「不思議と戦ってる間は耐えられるんだ」byアルフェン

「その胸の内に、炎の剣以上の炎が燃えているという訳だな」byテュオハリム

「ふたりの絆が深まった証。それで十分ではないか?」byキサラ

要は精神論ということらしい。

なにも俺は「いや現実的にそんな熱いもの持てるわけないじゃんwww」なんてことが言いたいわけじゃなくて「痛みを感じないからこそ使える力」という大事な設定を都合よく無視しないでほしいと言っているのだ。

通常、このような強大な力は代償を払うという制約があるからこそドラマが生まれる。寿命が削れるとか、五感が少しずつ消えていくとか。アライズの場合は、それが「使い手をも焼く」というものだった。

非力な奴隷であるダナに与えられた、装甲兵や星霊術を用いるレナに対抗し得る唯一の武器と言う特別性。その一方で使う者をも傷つけるという危うさ。その二面性がドラマを産んでいたから序章のカラグリアは面白かったんだ。

それなのに、そのデメリットを精神論で突破してしまうと「我慢できる痛みで扱える強大な力」になってしまい、あまりにも緊張感も特別性もない設定になってしまう。

痛覚を取り戻すのはいい。しかし本来この課題を乗り越えるには「王の力で自分にかかる熱を制御可能になった」など何かしらの理由づけがあるべきで、断じて精神論で克服できて良いものではないはずだ。

「赦す」という結論ありきの物語

アルフェン達は初めこそ単に支配からの解放を目指して戦っていたが、旅の中で様々な経験をするうち一つの答えに辿り着く。

それは、赦すこと

憎しみは何も生まない。虐げられてきた者達の立場が逆転したとき、それをやり返していたのでは憎しみの連鎖は終わらない。その果てには破滅しかないのだと。

罪を憎んで人を憎まず

罪人には私刑ではなく裁きを

孤独な支配者には怒りではなく哀れみを

そうした赦しの先にこそ、共存の未来があることを本作は伝えようとしていた。

しかし実際に描かれたのは「赦す」という行為の美しさだけで、それに伴う覚悟やその後に訪れる現実についてはほとんど触れられていない

赦せばレナによって奪われた家族や大切な人は帰ってくるのか?誰もがアルフェン達のように憎しみを飲み込めるほど強い人ばかりではない。

支配という構造が変われば人の心も変わるのか?奴隷制が終わったからといってダナ人への差別感情も消えるわけではない。

こうした当然起こりうるであろう葛藤や泥臭い問題といった、赦し合える世界という理想に到達するまでの過程が全く描かれない。

赦しというテーマの表層をなぞるだけでそれが内包している負の面から目を逸らし、まるで最初からそこに着地することが前提だったかのように物語が進んでいるのだ。

だから登場人物たちの葛藤も決断も、予め決められたゴールに向かうためだけの演出に見えてしまっているのがあまりにも惜しい。

「赦し」とは、怒りも憎しみも抱えたまま生きるという強靭な覚悟だ。

その覚悟を伴わない、描かない「赦し」などただの理想論、綺麗事でしかない。

「赦し」とその後の現実

リンウェルの旅の目的であり一族の仇でもあるアウメドラを倒したあと、彼女は復讐を選ばず「罪を罪として償わせる」「裁きを受けさせる」と言った。

アライズは物語を通して何度も「開放の先にあるもの」を問いかけてくる。

レナ人を全て追い出したその後は?

それで本当に解放されたと言えるのか?

社会の構造、差別や対立、そんな壁を超えた先にある共存。それを心の黎明と呼ぶのであれば、このリンウェルのイベントで描きたかったのは

どうやって怒りや憎しみを乗り越えるのか

復讐を超えたその先にあるものとは何なのか

だったのだろう。

他でもない自分自身のために復讐をやり遂げたベルセリアとは、また異なる復讐の描き方と言えるが、一度冷静になって考えてみてほしい。

この世界における「裁き」とは何だろうか

アライズの世界には国もなければ法もない、秩序が個人の規範に委ねられる世界だ。

アウメドラはレナの大将であるスルド。ダナとレナの対立は根深く、これまで傲慢な態度で奴隷を虐げてきたうえ大量虐殺を行った外道への裁きなど、私刑によるリンチや惨たらしい拷問しか考えられない。

そんな世界で彼女はアウメドラへの裁きとやらを、どのように考えていたのだろうか。

誰が裁くのか、またその制度は誰が作るのか。

それが描かれることはなく、その後現れたヴォルラーンによってアウメドラは理由も分からず殺されるという、何ともあっけない最期を迎えた。

リンウェルが殺したいほど憎んだ相手を葛藤の末に「赦す」という決断を下しても、その結果が描かれることもなければ、この物語になんの影響も与えなかった。

こんな具合に「赦す事が大事」という思想を提示しているだけで、その後の具体的なプロセスや社会的帰結を描いていないため、少なくとも俺にはそのテーマが物語として機能しているようには感じられなかった

アルフェンの「赦し」とその結末

少し長くなってしまうので初めに整理しておくち、ここで話す問題点は三つ。

第一に、赦しに至る心理描写が不足していること

第二に、その選択の結果を受け止める覚悟が描かれていないこと

第三に、それを奇跡で覆してしまったこと

唐突すぎるヴォルラーンへの「赦し

本作のラスボス「ヴォルラーン」はアルフェンと同じダナの奴隷で、黒幕であるレナの星霊に王の力を与えられた男。

これまで真実を隠し自身を都合よく利用してきた星霊を葬るため最終決戦に乱入。星霊を封印しシオンを救うために必要なレナスアルマを奪い、アルフェンとの一騎打ちに挑むも敗北。

アルフェンは彼を

道を正してくれる友や、愛する者にも出会えなかった孤独な男。

自分だって、誰だってお前のようになっていたかもしれない。

などと憐れんで赦そうとするのだが、致命的なことに作中通してもヴォルラーンのバックボーンが何一つ描かれてないため、アルフェンの赦しはあまりにも唐突に映ってしまう。

彼の過去を窺い知れるのはラストバトルの戦闘中に交わしたわずかな言葉のみ。

俺が覚えているのは、背中に振り下ろされる鞭の火のごとき痛みだ。

そして気まぐれに奴隷を殺す強者。より弱いものを生贄にして生き残る弱者。

愛だと?友だと?どこにもありはせぬわ。

彼の言葉はアルフェン達がこれまで見てきたものを表していた。カラグリアの強制労働、シスロディアの密告制度、アウメドラの虐殺。同じく奴隷であったアルフェンならその苦痛は想像に難くないのだろう。

しかし、これらはヴォルラーン自身が受けた苦痛なのだろうか?

彼がどのような人間で、何を見て、何を思い、何を感じて今に至るのか、なぜ「自分以外の全てを支配する」という思想が形作られるに至ったのかが、たったこれだけのセリフで理解できるだろうか。

他のダナの奴隷たち同様に辛かったんだろうなと想像はできても、ほんの少し言葉を交わしただけで彼という人間を理解し、同情に足るほど感情移入できるはずもない。

にも関わらずアルフェンはヴォルラーンを理解し、憐れみ、赦すという結論に至っている。本来ここに説得力を持たせるにはヴォルラーンという人物をもっと深く知る必要があった。

彼が主人公の対極にあるような存在ならば、主人公と同等にもっと深く丁寧に描かれるべき存在だったのだ。

ヴォルラーンにもかつては守りたかった誰かがいて、信じた未来があったのかもしれない。アウメドラを殺害したのもただの気まぐれではなく、奴隷時代に友や大切な人を奪われ虐げられた復讐だったのかもしれない。

もし彼の過去が丁寧に描かれていればこの赦しは成立し得たし、このラストバトルは間違いなくシリーズ史に残る名シーンになっていただろう。

そういったキャラクターの背景が薄いため、アルフェンの救済も最後の対立にも何のドラマもない。だから予め決められた「赦し」というゴールに向かうだけの予定調和に見えてしまうのだ。

覚悟の伴わない理想

アルフェンはヴォルラーンと剣を交えながらこう言った

赦し合うことは、強さだ!

誰も生贄にならずに済むのが俺の願いだ

「赦すことは強さ」それは正しい。先ほども話したように、赦すという行為には強靭な覚悟が伴う。しかし彼にはその理想に足る覚悟がなかった。

アルフェンは自分の理想、信念に基づいてヴォルラーンを赦したが、彼はそれを受け入れずレナスアルマごと自爆して命を絶った。

その結果、シオンを救う唯一の方法であるレナスアルマを失ってしまったアルフェンは途方に暮れ、こう言った。

せっかくここまで戦ってきたのに…必ず助けると約束したのに

なぜシオンを助けることができなくなったのか…それは他でもないアルフェンがヴォルラーンを赦したからだ。

理想や信念を通すならば、その結果がどれほど過酷なものであっても受け入れる覚悟が必要だったはずだ。だがアルフェンは自らの行動の結果を受け止めきれていない。

シオンとの約束を守れなかったことを後悔するくらいなら、アルフェンは初めから彼女を救うために最善を尽くすべきだったのだ。

赦し合いという理想を掲げ巨悪にさえ歩み寄ることを忘れなかった優しい男には、理想に伴う覚悟が足りなかった。

もしくは、それすらも主人公の未熟さとして描いていたのかもしれないが…だとしたらこの先の展開は本当に正しかったとは思えない。

奇跡で全てを覆す

シオンを救う術を失ったアルフェンは、一縷の望みをかけてダナの星霊力に助けを求めるという。そして無茶だというシオンに対してこう続ける。

無茶でもシオンを救えるとしたらこれしかない。それにこれはレナも救う方法でもある。

レナの意志は決して邪悪ではなかった、何も犠牲にしないというならレナも救わないとダメなんだ。

俺はシオンのいない世界で生きたくない。もう何かの屍の上で生きるのは嫌だ!

確かにレナの星霊に邪悪な意思があったわけじゃないことは触れられていた。しかしそれが発覚したは星霊と戦う直前だったし、それについて何かしら思案していた様子も無かった。

何よりもヴォルラーンにレナスアルマを奪われるまでアルフェンは何の迷いもなく星霊を封印しようとしていた。そんな人間が、その手段を失って八方塞がりになった途端に「星霊も救わないとダメだ」と言い出す。

「赦しあうことが強さ」だと理想を掲げ、

その結果シオンを救う方法を失うことになり、

不都合な結末を祈りによって覆そうとする。

この一連の行動は、極めて場当たり的で一貫性に欠けると言わざるを得ない

あえて言おう。

信念に基づいた行動の結果を否定することは、即ち信念を否定することと同義であると。

理想を語ることは容易い。しかしそれが逃れられない現実によって打ち砕かれたとき、どうやって再び立ち上がるのかが最も重要なのだ。

しかし本作はその試練を経ることなく、神頼みでシオンもレナの星霊も全部救われて、アルフェンとシオンの結婚式でハッピーエンドとなる。

アルフェンは自分の行動の結末を、奇跡によって全てを帳消しにしてしまった。

アライズの物語に決定的に欠けていたのは、理想のために痛みを伴う覚悟だったのだ。

DLCでも変わらない物語の薄さ

DLCで描かれるのは本編から1年後の世界。その内容について発売前はこう語られていた。

「Beyond the Dawn」の名の通り、夜明けの向こう側に待っている未来と現実について、アルフェンたちの心の旅路のその後を直接描く、直球勝負の物語です。

はっきり言って、直球勝負の現実はこのDLCのどこにもない。

  • 世界合一後のダナ人とレナ人の対立
  • 炎の剣という英雄像に縋るダナ人
  • ダナとレナのどちらにも居場所のないハーフという存在

扱うテーマは魅力的であるにも関わらず、ほとんどは新キャラであるナザミルを取り巻く友情物語に帰結していて、他の問題は満足に描ききれていないどころか何も解決していないまま放置されている。

ダナとレナの対立

本編のラストでは当然起こりうるこの問題をすっ飛ばしてアルフェンとシオンの結婚式で幕を下ろしたため、改めてこの問題に触れようとする姿勢には好感が持てたし期待もしていた。

だが実際には、DLC全体を通してもレナとダナの対立が相変わらず続いていることを見せているだけで、それが変化する様子や改善する兆しはほとんど感じられない。

ミハグサールでダナ人達による暴動という事件もあったが、両者の関係には何も変化はなかったし、共存が確立されているメナンシアで、優遇を求めるレナ人が押し寄せてきているという事もあったが、その問題を描くだけで終わる。

少なからず個人間で隠れて仲良くしているダナ人とレナ人もいるような描写はあったが、社会全体が好転している様子はないし、むしろ悪化しているにも関わらず解決への糸口を探すような展開もない。

共存派の人たちによって街の外で野宿しているレナ人のために食事を振る舞うなど、共存のために何かできることを模索するようなポジティブな出来事があっても良かったのではないだろうか。

共存とはどちらか一方が心を開いただけで叶うものではない。お互い歩み寄って初めて共存は成立するものだ。アルフェンの提示した「赦し合う」とはそういうことだ。

本編で過程を描かずハッピーエンドで締めたのなら、尚のことDLCではそこを描くべきだった。

英雄に縋るダナ人

英雄なら助けてくれて当然、その期待を裏切れば失望される。

アルフェンはダナを救った英雄として各地のダナ人から頼りにされていたが、混沌とした世界で英雄という肩書きに縋る人間は多く、その無意識の堆積がアルフェンを追い詰めていた。

しかし英雄とて一人の人間、できることはあまりにも少ない。全てを救えるわけもないし、人はいつか必ず死ぬ。そうなった時でも自分達の力でやっていけるようにならなくては、奴隷であった時と何も変わらない。

なんでもかんでも頼るのはもう終わりだ。

これからは自分でできることは自分でやるんだ。

力を合わせれば俺たちでもきっとできる。

カラグリアをまとめるリーダーのその呼びかけだけで、アルフェンの背負う英雄の重荷は降りた。

あまりにも…あまりにも軽い。

困った時は英雄が何とかしてくれる。

そんな考えが浸透しているなか「英雄に頼り切りはやめよう」と言われただけで人は自立するだろうか。徐々に変わっていくかもしれないが、それを自立への過程の物語として描くにはあまりにも曖昧で弱い。

これほどまでに英雄に依存しきった社会が変わるきっかけを描くならば、ただ言って聞かせるのではなく、

アルフェンがレナからは破壊者と呼ばれ、ダナからはダナに手を上げた堕ちた英雄と呼ばれ、そうして英雄への風当たりが強くなっていき、結果的に人々は自立せざるを得なくなる。

このような、社会を大きく揺るがす出来事があるべきではなかっただろうか。

だからこの展開はあまりにも弱い。誰かに言われて自立心が芽生えるほど、人は”おりこうさん”ではない

ナザミルを取り巻く世界

ナザミルはダナとレナのハーフの少女。ダナからはレナ人として拒絶され、レナからは奴隷の血が混じった半端者と蔑まれ、どこにも居場所を持てない孤独な存在だ。

設定だけを見れば彼女はダナとレナが一つになったこれからの世界を象徴するような存在で、本編のその後を描くうえで最も重要なキャラクターになり得た。

しかし実際に描かれたのは差別の構造そのものではなく、ナザミル自身の成長と自立、そして仲間との友情に焦点を当てた物語だった。

積み重ね不足で感情移入できない

ナザミルと行動を共にする時間は、約15時間程度のDLCストーリーのうち1/3程度とあまりにも短い。数回の野営で一緒にご飯を食べて何度か人助けをしたくらいで、離脱して以降は終盤まで出てこない。

戦闘にも参加しなければ彼女が関わるサブイベントも発生せず、本編にあった野営での会話のような交流の蓄積も無いため、離脱の喪失感、敵対する悲しさ、彼女を救いたいという切実さがプレイヤー側に伝わらない。

にも関わらずアルフェン達は急速に距離を縮め、出会った翌日には「友達」「仲間」「絆」といった言葉を口にするため、プレイヤーとの温度差が生じてしまっている。

友情や絆を否定するつもりはない。それが凍り付いた心を溶かしてくれる展開は俺も好きだが、それはそれに見合った時間と積み重ねがあった場合の話だ。

仲間とのすれ違いや対立を描くには、それなりの時間をかける必要がある。しかしそれはDLCの短い時間で描き切れるものではなかった。

バックボーンの欠落

発売前、ナザミルは「プレイヤーに立ちはだかってきたスルドの娘」と予告されており、父親は誰なのかと様々な予想が生まれていたが、蓋を開けてみれば本編に登場すらしていないキャラだった。

彼女の父親はガナスハロスの元スルド、ウルワギル。本編開始時点で既にヴォルラーンに殺害されており、DLCでも容姿は不明、回想もわずかで人物像も全く掘り下げられなかった。

「役に立たなければ価値がない」という思想をナザミルに植え付けた元凶であり、それがDLCでの騒動の引き金にもなったのだが、こういった現在のナザミルを形作った背景が全く描かれていない。

よってナザミルの過去や彼女の抱える孤独は単なる情報でしかなく、断片的なそれらから推し量る必要があるため物語という体験として我々プレイヤーには届いていない。

ナザミルとは関わる時間が短く感情移入がしづらいのだから、せめて彼女の父親はガナベルトやヴォルラーンなど、本編での因縁を引き継ぐようなキャラクターにするべきだったのではないだろうか。

そうすればプレイヤーのナザミルに対する印象も「なんかよく知らないやつの娘」ではなく、何かしらの感情を抱いただろう。

それだけでなく、アルフェン達がダナを解放した一方でナザミルの父親を殺していたという因縁も生まれるため「解放のための犠牲は肯定されるのか」という正義の二面性にも触れられる。

そうすることで、非常にテイルズらしいテーマを描くこともできたのではないだろうか。

【余談】過去作との比較

ナザミルのような「混血ゆえに差別を受けた存在」というのは過去にも登場している。例えばテイルズオブシンフォニアのミトス。彼もまた、人間とエルフの混血という生い立ちゆえに迫害を受けた人物だった。

しかし両者の印象は決定的に異なる。

ミトスは迫害を受けながらも理想を抱いていたが、結果的に裏切られ絶望に至るまでの過程が物語の中で描かれていた。一度はロイドたちと行動を共にして心変わりしかけたが、それでも自分の道を選んだこともそうだ。

プレイヤーは彼が何を見て、何を思ってきたのかを体験し、その果てに辿り着いた思想を目の当たりにしたからこそ、それに賛同はできなくても理解はできてしまう。

一方でナザミルはどうか。

先ほども話したように彼女が差別や迫害を受けてきた過去は設定として提示されたものを基にプレイヤーが想像する構造になっているため、体験として積み重ねられていない。

だからナザミルがアルフェンに拒絶された時なぜあんなに怯えていたのか、なぜ異常なまでに他人に依存してしまうのか、なぜそうなってしまったのかがプレイヤーに伝わらない。

どちらも同じ「居場所のない混血」という設定でも、描写の厚み次第ではここまで印象が変わる。それはキャラクターの問題ではなく物語の構成の問題に他ならない

的外れな着地点

ナザミルはアルフェン達に喜んで欲しい一心でとある計画を実行するが、そのやり方は拒絶されてしまい「喜んでもらえなかった」「役に立てなかった」と自暴自棄になったことでアルフェン達と交戦する。

初めてできた友達を自分の手で傷つけてしまった自己嫌悪と、嫌われて友達を失ってしまうという恐怖に耐えきれず、心を抑えつける仮面を被り閉じこもってしまう。

ナザミルはダナでもレナでもない異質な存在であると親から否定され続け、社会から差別や迫害を受けてきたが、それでもずっと誰かに認めてもらいたかっただけの普通の少女だった。

誰かに必要とされるために他者に依存して生きるのでなく、ただそこにいるだけで良いという存在の承認。自分自身のために生きられるようになることが、ナザミル個人への救済だった。

そして、戦いの末にナザミルは仮面を自ら外した。

友達が教えてくれた、もう抑えつけなくていい。

私はただ在ればいい、こんなにも嬉しいなんて…

そう言って笑顔を見せたナザミルだったが、それで彼女の生きづらさが本当に解決されたのだろうか。

確かに他者への依存が彼女の生きづらさのひとつであることは間違いない。しかしその根本にあるのはハーフという異質な存在ゆえに差別や迫害を受け、社会のどこにも居場所がないという逃れようもない現実だったはずだ。

何も悪い事をしていなくても、ただ生きているだけで理不尽に石を投げつけられるのが差別や迫害の現実であって、それは本人の心の在り方でどうにかなる問題ではない。

差別とは、理不尽とは、当事者が自己肯定できれば解決する問題ではない。

そんな当たり前の現実を描くはずの物語の着地点が「自分を持たないから」「仲間や友達がいるから、独りじゃないから大丈夫」などというのは、いささか的外れであると言わざるを得ない。

ナザミルは本来ならば相互理解や共存の困難さ、社会の構造が産んだ差別の残酷さを体現する存在になり得たはずだ。しかし実際に描かれたのは、個人の心の在り方や生き方の問題だった。

「未来と現実を描いた直球勝負の物語」と銘打ち、差別という重いテーマに挑んだことは評価するが、それを真正面から描き切れず最終的には個人の救済に帰結してしまったのがなんとも惜しい。

「救済」という結論ありきの展開

ラストバトルではナザミルの暴走を止めるために、アルフェン達からこのような言葉を掛けられている。

「独りの辛さ、失うことの怖さは私もよく知ってる。それでも私はあなたに踏み出してほしい。この世界には素敵なこともたくさんある。それをあなたに知って欲しい。」byシオン

「君はずっと自分が何者なのか、誰かに決められてきたのだろう。だが、そろそろ自分で決めても良いのではないか?」byティオハリム

「ナザミルが怖いのは自分を持たなかったからだ。今からでいい、それを作るんだ。」byアルフェン

OPテーマをバックにラスボスと戦うという非常に熱いシーンではあるものの、一旦冷静になって考えてほしい。

たった数日、たった数回一緒にご飯を食べただけの相手に優しい言葉をかけられて、自分という存在を肯定できるのかは甚だ疑問である。

「この世界には素敵なことがたくさんある」と言われても、生まれてからずっと虐待や迫害を受け続けてきた彼女にとってこの世界は地獄でしかなく、そんな実感の伴わない言葉は何の慰めにもならない

ナザミルに本当に必要だったのは「言葉」ではなく「経験」だった。

誰かから感謝されたこと。

誰かと一緒に過ごして幸せだったこと。

誰かと関わることで自分の世界に光が差したこと。

仲間からの言葉はあくまできっかけであるべきで、こういった経験の積み重ねを反芻して、自分の意思で立ち直る展開の方がグッとくるものがある。

とはいえ、それをやるにはDLCという継ぎ足しの内容では圧倒的に時間が足りない、積み重ねが足りない。

まとめ

アライズは間違いなく進化した。しかしシリーズが積み上げてきた物語を継承できていたとはとても思えない。

最高の素材が揃っている。問題なのは物語だけだだからこそ惜しい。

アライズの物語は感情の説得力よりも演出の勢いで押し切っている場面が多い。だから表面的には王道で良い作品に映っても、細部を見ていくと設定の齟齬や結論ありきで過程を蔑ろにした雑な展開が見えてくる。

もちろん、本作が提示した「赦し」や「共存」という理想そのものを否定するつもりはない。だが、それを説得力のある物語として成立させるだけの過程、痛みや覚悟が描かれなかったことが、俺にはどうしても惜しく思えてならない。

テイルズオブシリーズが描いてきたのは

理想と現実の衝突の中で、それでも理想を選ぶ覚悟だった。

アライズのテーマは重かった、しかし覚悟が軽かった。

次回作がどうなるか…それ次第で「アライズ」は進化の途中と呼ばれるか、シリーズの転換点と呼ばれるかが決まる。

俺は、俺の人生に多くの物語を与えてくれたテイルズは、まだこんなものではないと信じていたい。

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