【「METAL GEAR SOLID Δ: SNAKE EATER」感想】忠実すぎるリメイク。しかし驚きはなかった。

やっとクリアしました。

11月くらいから終わるのが惜しくてオオアマナの花畑で放置してました。

面白かった。間違いなく面白かった。

でも

胸の奥に若干しこりが残る、そんな感じだった。

というわけで今日は伝説的な名作、メタルギアソリッド3のリメイク「MGSΔ(デルタ)」の感想について話していく。

目次

良質だが新しくない

結論から言うとMGSΔは

原作に非常に忠実かつ丁寧に作られたリメイクだが、新しい価値や感動を与えてくれるものではなかった。

一新されたグラフィックは間違いなく2025年の最高水準でPSのファースト作品と比較しても全然見劣りしない。

俺自身もそんなリメイクが出ることをずっと期待していたから、最新技術で描かれるMGS3の世界に胸を躍らせていた。

しかし実際に触ってみるとグラフィックの刷新だけでは誤魔化しきれないほどの操作感の悪さ、エリア移動のテンポの悪さ、ゲームの設計の古さが最後の最後まで気になってしまった。

そしてスタッフロールが終わったときに一番強く思ったのは「やっぱり原作のMGS3ってすごいな」という、リメイクそのものではなく原作の良さを再確認するというものだった。

進化したのは見た目だけ

本作のタイトル「Δ」に込められた想いについて公式Xはこのように答えている。

タイトルに“Δ(デルタ)”を付けた背景としては、その文字が持つ以下のような意味が今回のリメイクのコンセプトに即しているからです。

”Δ”はギリシャ語のアルファベットに由来する数学・変数の「変化」「差」を表す記号で、構造を変えずに量を変化させる意味も持ちます。

このようにリメイクでの大きな変更点はグラフィックのみ。それだけでもクオリティは圧倒的に高いのだが、いかんせんシステムは20年前のものと同じなので古臭さが否めずチグハグさを感じてしまった。

新たに追加された肩越し視点での射撃では不自然なほど弾の軌道が落ちたり、スネークの移動速度や段差の登り降りがもっさりしているなど、そのあたりがTPSとして洗練されていたMGSVと比較するとかなり不便さが目立つ。

このあたりは20年前のゲームを無理やり現代っぽくしようとした弊害が出ていると思う。当時の設計は決して間違っていなかったが、20年以上の時間を経た今、同じ設計をそのまま持ってくるのはかなり厳しいものを感じてしまった。

MGS3とMGSVは、そもそもの設計やコンセプト、ゲームスピードも異なるため比較するのはナンセンスかもしれないが、おそらく多くの人が空想していたのは「あの(MGSV)操作感のMGS3」だったのでないだろうか。

とはいえ本作も悪い所ばかりじゃない。しゃがみ移動の追加によって移動は便利になったのは間違いないし、無線やカムフラージュの変更がメニュー画面を開かずとも可能になったのは快適さの底上げとしてはかなり良いと思った。

とにかく

大きな改変を制限されたなかで、どうにかこうにか快適にしようという意志は感じた

だからMGSΔは「MGS3のリメイク」というより「遊びやすくなったMGS3」といった印象で、どちらかといえばリマスターに近く、原作の良さを再確認するためのものに過ぎなかったというのが率直な俺の感想となる。

だからMGSΔとMGS3どっちが好きかと聞かれたらMGS3と俺は答える。

FF7リメイクとの違い

ここで一度名作のリメイクということで、FF7リメイクの話をしようと思う。

FF7リメイクは原作の要素を抽出、再構築し、原作とはまた違う体験を作りあげたリメイクだ。戦闘システムは完全に別物になったし、物語も大筋は原作をなぞりつつ独自のものに仕上がっている。

見覚えのあるキャラクター、景色、展開。聞き覚えのあるセリフや壮大にアレンジされたBGM。そのどれもが原作を知る者たちに

「俺はいま確かにFF7を遊んでいる」

という感覚と

「まだ見たことのない新作を遊んでいる」

というドキドキやワクワクを同時に与えてくれる。

FF7リメイクはただのリメイクじゃなく、原作を素材にした現代の新作として成立していた。

もしもFF7リメイクがエバークライシスのように、キャラのグラフィックだけを最新にしたちびキャラで、セリフも展開も全く同じ形で発売されいたとしたら…?

間違いなく面白い、コケる要素が無い。だってバカ売れした原作と同じだもの。

でも、たぶんそれをプレイし終わっても「やっぱFF7(原作)っておもろいな」しか残らないと思う。プレイヤーの心は過去に引っ張られたままなんじゃないかなって。

だってぶっちゃけた話それってリマスターと大差ないしね…グラフィック以外全部同じなんだから。MGSΔだってそう。リメイクの発表前にはすでにマスターコレクションとして圧倒的完成度のMGS3が発売されていた。

それでガワだけ変えたリメイクが出てもそれに価値を感じるかって聞かれたら、そりゃ多少は低くなる。だってフルプライス払ってリマスター版と体験が全く同じなんだもん。

まあ…メタルギアを取り巻く諸々の背景を考えると、そういうコンセプトにならざるを得なかったのは仕方がないが…。

MGSΔに至る経緯

小島秀夫という存在

このシリーズ最大の厄介さはここにある。

メタルギアの生みの親である小島秀夫というクリエイターは、作品の設計思想のすべてを背負っていた人間だ。脚本、演出、ゲームデザイン、PV編集も、ほぼ全部に彼が介入するほどの職人肌で、作品の至る所に彼の遺伝子が宿っているといっても過言ではない。

そうやってメタルギアというブランドは作り上げられてきたため、ファンのなかには彼自身の作るメタルギア以外は認めないと言う人もいるが、これは作品およびクリエイターへの非常に強い愛であると同時に呪いでもあった。

考えてみてほしい。ゲーム会社の有する伝統的なシリーズタイトルって何があるだろう。

  • ファイナルファンタジー
  • ドラゴンクエスト
  • テイルズオブ
  • バイオハザード

ナンバリングを重ねていくIP達は作品ごとに製作陣は異なる。もちろん同じ人が連続で指揮を執る場合もあるが、ほとんどの場合は製作陣は入れ替わっていくものだ。

しかしメタルギアは違った。そのシリーズ始まりから退社するその日まで彼はほぼ全ての作品に携わってきたため「メタルギア=小島秀夫」という式が刷り込まれていたのだ。

一方で彼自身はメタルギアを次の世代に託したかったとメディアで発言している。

MGS1とMGS2でメタルギアの作り方を教えて、MGS3は若いスタッフに作ってもらおうと思っていたようだが、世間からの圧倒的な評価を受けているメタルギアの看板を背負えるものはなかなか現れなかった。

結局MGS4、MGSPW、MGSVと彼はメタルギアを作り続け、結果として次の作り手が現れないまま彼は退社。世代交代には失敗してしまった。

期待された未完の最終作

そんな世界中から愛されている小島秀夫氏の最後のメタルギアがMGSVだったのだが、これがまた様々な憶測を呼ぶものだったのだ。

当時MGSVへの期待値はとんでもないものだった。オープンワールド、昼夜の時間経過、馬や車両に乗れる、圧倒的に進化したアクションと潜入の自由度。当時PVを見た誰もが「これこそがメタルギアの完成形である」と確信したはずだ。

そして発売されたMGSV。

宿敵を葬り復讐を果たした第一章は本当に素晴らしかったが、第二章からの雲行きがどうも怪しい。不自然なまでに焼き増しのストーリーミッションと、直前のイベントの流れを無視して唐突に訪れるエンディング。

え?これで終わり…?

そして極めつけは特典ディスクに納められた「完成度30%」と書かれた未収録エピソード。そこで疑念は確信に変わる。

「MGSVは未完成なのだ」と。

彼の携わる作品のパッケージには必ず記載されていた「A HIDEO KOJIMA GAME」と小島プロダクションのロゴがMGSVのパッケージから消滅。

さらには本作の発売後、開発チームであるコジマプロダクションが解散。そしてMGSVが受賞したゲームアワード授賞式への小島監督の参加禁止。多くの注目を集めたP.T、もといサイレントヒルの開発中止。

これらの動きを見ていると、小島監督とKONAMIの間でいざこざがあったのでは?と思わざるを得ず、円満な退社であったとは到底思えない。

信用を失うKONAMI

ちなみに当時のKONAMIはメタルギアだけでなくほかのIPでも多くの問題を抱えていたので、この時期を境にKONAMIそのものが多くのゲーマーからの反感を買ってしまったのは間違いない。

詳しくは以下のリンクを参照。

そして小島監督の退社後、メタルギアの存続を不安視するユーザー達に対するKONAMIの強気な姿勢もあり、これまた多くのメタルギアファンからの反感を買うことになった。

そんな緊張感のなか生まれた伝説の作品「メタルギアサヴァイブ」

この作品を簡潔に表すなら「ゾンビの跋扈する終末世界でのサバイバルアクション」で、従来の敵地への潜入やステルスアクションからは全くかけ離れたもので世界中からの非難を浴びた。

いろんな意味でとんでもないものを目にした俺たちは

メタルギアというIPは小島秀夫の退社とともに潰えた

そう思った人も少なくないはずだ。

ゲームとしては決して悪いものではなかった。ただメタルギアの名を冠するべき作品ではなかった。

MGSΔが保守的になるのは自明

それから約5年ほどの沈黙を破り、こうしてMGSΔというリメイクプロジェクトの発足や、HDリマスターを束ねた「マスターコレクション Vol.1」が発売されることとなった。

名作を次代に残していこうという意思なのだろうがここに至るまでの経緯が経緯なので、KONAMIはユーザーからの信頼のほとんどを失ってしまった。

MGSΔの情報公開の際には

このようにリメイクに肯定的な人は少数で、様子見もしくは否定的な人が多数だった。特に否定派からは散々な言われようで、MGSΔはある意味過去の轍をなぞらざるを得なかったのだろう。

これからのリメイクは?

ただ、そのやり方はいつまでも許されない。

時系列順で行くと次はおそらくピースウォーカーだが、元はPSPであるためゲームのデザインとしてはMGS3よりも窮屈だ。

エリア制なのは同じだがマップが狭く、それに合わせて敵の視界も今では違和感を感じるほどには超狭い。

その先にあるMGS1やもしくは初代メタルギアとメタルギア2といった古い作品群も、グラフィックの刷新だけでは勝負できなくなっていくい。

俯瞰カメラ、敵の視界、AI、操作感、マップ構成。あれらはあの時代だから許されていたものであって、現代の基準に当てはめると違和感を感じるのは無理もない。

メタルギアシリーズは名作だ。でも名作だからと言ってそれをそのまま現代に持ってきて、当時を知らない人にも通用するかと言えば違う。

MGSΔですら違和感を感じたのだからMGS1なら尚更だろう。「昔のゲームなんだから」と思うかもしれないが、それならリメイクする意味がない。リマスターで十分だ。

だからこそ現代の基準に合わせて作り直す必要がある。これからのリメイクに必要なのはゲームシステム、デザインの再構築だ。

ストーリーに関してはもともと評価がべらぼうに高いので大きな変更はいらないだろう。原作がシリーズを重ねる過程で生まれた矛盾点などの整合性を持たせるくらいの調整で良いと思う。MGS1のエンディング分岐とか。

大事なのは原作が持っていた核を活かしつつ、それを現代のプレイヤーが「新しい体験」として受け取れる形に再構築することではないだろうか。

それができなければメタルギアのリメイクは、マスターコレクションと大差ない単なる保存作業で終わってしまうだろう。

まとめ

  • MGSΔは原作に忠実すぎるリメイク
  • ただし、原作の良さを再確認する以上の価値はない
  • MGS1世代の作品をリメイクするならMGSΔのやり方では通用しない
  • 今後必要なのはゲームシステム、デザインの再構築。

MGSΔは信頼回復のための土台だ。

本当の勝負は、次だ。

一歩一歩踏みしめて、前に進んでくれることを願う。

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