【場合による】DLCは悪なのか【完全版商法】
「DLC」それは既存のゲームに新たなストーリーや武器装備といった新たな体験を追加できるというもの。
これだけ聞くと「一体それの何が悪いの?」と思うだろうが、状況によってはメーカーが猛批判を食らうこともしばしば。
しかしその一方で反感どころかむしろ賞賛されるパターンが存在するのも確かだ。
その違いとは一体なんなのか。DLCの是非とその影に潜む問題について考えていきたいと思う。
そもそもDLCとは
今時DLCの事を知らない人なんていないと思うけど一応解説しておくと、DLCとはダウンロードコンテンツの略。
簡単に言うとラーメンやピザにお好みで具材をトッピングしてより美味しくできるように、ゲームをもっともっと楽しみたい人はトッピングのDLCを買ってねという仕組み。
DLC=ゲームに追加要素をトッピングできる
これが一般的に認知されるようになったのはPSPやPS3が発売された頃だろう。
ちょうどインターネットが身近なものになり始めた時期で、当時小学生だった俺の家にネット回線が引かれたのもこの頃だ。
この頃のDLCはキャラクターの衣装を変えられるものや消費アイテムがリアルマネーで買えるなど簡素なものが多かったけど、近年では追加のストーリーや続編などの大容量のDLCも登場してきている。
コンテンツの寿命が延びた
さて、これによってメーカーはゲームソフトの販売以外の収益源が確保できたのは言うまでもないが、肝心のユーザーにとってどのようなメリットがあったのか。
人それぞれあるだろうけど、個人的にはコンテンツの寿命が伸びた事だと思う。
モンスターハンターを例に挙げるが、所謂無印版のライズにはサンブレイクという大型DLCが用意されている。
これを購入する事で、より難易度の高いクエストや新しいモンスターの追加、新しい武器や装備、新しいアクションやスキルを追加できるため、プレイヤーのゲーム体験はより豊かになる。
DLCはこのように既存の製品に新要素を追加する事ができる。
一度味わったゲームに新たな遊びを追加することによってボリュームが増え、一つのソフトを長く遊ぶ事ができるのはゲーマーとしては嬉しい限りだ。
許せるものと許せないもの
このように一見メーカーとユーザーの双方にとって利益しかない素晴らしいものだが、その内容や売り方によっては批判、炎上の対象になりかねない。
- ストーリー
- キャラクター
- ゲームプレイ
この観点に基づいて考えた俺の思う許せるもの、許せないものは以下の通り。
- 本編とは異なる問題を描いたストーリー
- 新しい操作キャラクターの追加
- 新しいダンジョン、ボスの追加
- 本編で未解決の問題を描くストーリー
- 既存キャラクターのプレイアブル化
- 使い回しのダンジョン、ボスの追加
これらをざっくり説明すると、完成された作品に新しい要素を追加するものと未完成の作品を補填するものという違いがある。
重要なのは新鮮さ
例えば「勇者が魔王を倒す物語」があったとして、これの続きとなる物語のDLCを、テーマをストーリーに絞って許せるものと許せないものの2つのパターンを考えてみた。
魔王を倒した後の世界。
魔王の脅威は去ったが、魔物の討伐や護衛という職を失った傭兵たちは怪しげな裏稼業に手を染めていた。その影に潜む人物とは…。
許せるのは本編とはまた違う問題が発生するパターン。
世界観を引き継いで新しい物語が展開されるため、プレイヤーの体験は新鮮なものになる。
本編の後世界がどう変わったのか、新しい問題に対してそれぞれのキャラクターはどのように受け止め行動を起こすのかなど、世界観とキャラクターを本編とは違った側面で掘り下げる事ができる。
魔王を倒した後の世界。
魔王の脅威は去り平和が訪れたと思っていたが、実は真の黒幕がいて世界は再び窮地に陥る。今度こそ全ての決着をつける…!
許せないのは本編で解決したと思っていた問題が実は解決していなかったというパターン。
本編と全く同じテーマの戦いをもう一度描くという、全く新鮮味を感じない味のしないガムのような続編だ。
この真の黒幕を倒すというのは本編で起きた問題が未解決だったという事を意味しているため、本編だけでは未完成だったとも捉えられかねない。
よって物語は本編と同じ問題を描いているため新鮮さはないし、キャラクターを別の側面から掘り下げるような問題もおきず、世界観の深掘りどころかただの水増しのようなものだ。
このように魔王を倒した後の世界という設定は共通していても描くものが本編と違えば、ユーザーは一度触れた世界でまた新しい体験をする事ができるため、その満足度は必然的に高くなる。
しかし後者のような展開だと内容も本編と変わり映えしないため退屈で、ユーザーにとって新鮮な体験であるとはいえないうえ、本編が未完だったという印象を持たれかない非常に悪手な内容だ。
DLCは付加価値であるべき
そもそも大前提としてDLCは付加価値であるべきだ。
DLCとは、完成された「10」の作品を「12」にするものであって、未完成の「8」の作品を「10」に補填するためのものではない。
- 本編でさらっと触れられた主人公の過去をより深く描写するもの。(Ghost of Thusima)
- 非常に作り込まれた新マップとより強力なボスとの戦い。(Bloodborne)
- 膨大なボリュームの新マップを伴うサブシナリオで世界観を深掘りする。(ウィッチャー3 ワイルドハント)
DLCを適切に扱えば新しいボスとの戦いや新しいマップの探索といった遊びを提供したり、登場人物を増やしたり既存のキャラを深掘りしたり、世界観を深掘りすることで物語に深みを持たせる事ができる。
たとえそれが有料であったとしても、それに見合った内容、価値があれば批判されるような事はないんだ。
- ストーリーを切り離して歯抜けになった本編を販売し、DLCで穴埋めをする。(FINAL FANTASY XV)
- 本来使えるはずのものを使えなくして、それを利用するためにDLCを買わせる。(ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル)
- アイテムの購入に必要なゲーム内ポイントが意図的に膨大な数値に設定されており、そのポイントをDLCで購入するというソシャゲの課金のような仕組み。(DEAD OR ALIVE Xtreme 3 Fortune)
一方で猛烈な批判を喰らう事になるのは、未完の物語を補填するようなものや、ユーザーに制限をかけてそれを解除させるようなものだ。
これが基本無料のソシャゲなら無課金ユーザーが不便な思いするのは理解できるけど、フルプライスのゲームを買わせたうえにわざと不便な思いをさせてDLCの購入を促すのは流石に擁護できない。
歯抜けになったストーリーを完成品と言い張り、さも「皆さんが気になっている空白を埋める追加ストーリーを発売します。」だなんて、随分と体裁のいい理由を思いつくものだ。
いずれも意図的に内容を削ったものを売りつけて、少しでも多く金をむしり取ろうという魂胆が丸見え。
1000円のラーメンを注文したら、具が一切入っていないスープと麺だけの物が出てくるようなものだ。
追加料金を払えば煮卵やチャーシューをトッピングできるはいえ「1000円もしたのにスープと麺しか食べられないの?」という客の感情を誤魔化すことはできない。
問題の本質は完全版商法
ここまで話した通りDLC自体は悪ではない。問題なのはその売り方と内容だ。
意図的に内容を削って、いわば未完成に等しい製品を発売し後に追加要素で穴埋めをするという、この完全版商法こそが問題の本質なんだ。
前項で「許せないDLC」として紹介したような追加要素は言うまでもないが、個人的に最も批判を受けやすいと考えるのは無印版と完全版を別ハードで展開するというものだ。
- Xbox版の発売から約一年後、膨大な量の追加要素を引っ下げた完全版をPS3で発売(テイルズオブヴェスペリア)
- PS4本体と抱き合わせで発売したにも関わらず追加要素はPS5にのみ発売(FINAL FANTASY VII intergrade )
どちらも無印版の発売から約1年という短いスパンで追加要素モリモリ、かつ別ハードに完全版を発売するという無慈悲っぷり。
きっとPS3を持っていたけどテイルズのためだけにXboxを買った人もいただろう。かと思えば一年後PS3に完全版が発売され、一体何のためにXboxを買ったのかと肩を落とした人もいるだろう。
FF7とPS4のセットに至ってはこの半年後にPS5が発売される事になる。あと半年でハードが世代交代する時期にわざわざ旧世代機を買いたい人がいるだろうか。いや居ない。
これが限定デザインのPS4なら付加価値になり得たかもしれないけど、残念ながら差別化されていたのは外箱のデザインのみで同梱されていたPS4は通常デザインのPS4だった。
ハードを跨いだ理由について性能的な問題で追加要素を実現できないと言われればそこまでだけど、よく考えて欲しい。
前途のようにテイルズが遊びたいからXboxを買った人。FF7Rが遊びたいからPS4を買った人がいるように、そのゲームを遊びたいからハードを買った人は必ずいるはずだ。
- テイルズとXbox360のセットは37800円(税込)
- FF7RとPS4とのセットは29980円(税抜)
- FF7RとPS4proのセットは39980円(税抜)
いずれも決して安くはない金額を払っているんだ。
テイルズやFFといったシリーズの長い作品には古くから付いてきてくれているファン達がいる。シリーズへの愛があればこそ熱心なファン達はお財布を削って作品、コンテンツを支えてくれるんだ。
しかしこの売り方はどうだ。
ハードを切り離して露骨に金を巻き上げようとするその姿勢は先にゲームを買ってくれたユーザー、ひいてはシリーズを愛するファン達への裏切り行為と言ってもいいのではないだろうか。
完全版自体を否定する事は難しい
しかしDLCと同じように完全版そのものを悪とは言い切れない。開発とユーザーの気持ちはどちらも理解できるからこそ一概に否定するのは難しいんだ。
完全版の発売によって我々ユーザーとしては、好きな作品がより素晴らしいものになるのは喜ばしい事だ。
メーカーにとっても納期や予算の都合で内容を削らざるを得なかったものを、改めて製作できるのは嬉しい事だと思う。
世の中にある完全版が全て、このような真っ当な理由で開発されるものばかりなら歓迎することができるのだが現実はそうもいかない。
完全版商法は無くならない
インターネットの発達とDLCの隆盛によってソフトを発売後にアップデートする事が容易になり、一つのソフトがハードを跨がずに長く楽しめるようになったのはとても素晴らしい。
完全版を発売することで新規ユーザーにアプローチできると同時に、DLCを利用して既存ユーザーへの救済も可能となった。
しかしながら粗悪なDLC、完全版商法が無くなることはないだろう。
拝金主義の一部企業にしてみればうってつけの金儲けの手段だ。こんなに金の成る木をみすみす捨てるほど愚かではない。
過去のような完全版の販売方法は減りつつあるが、DLCは後続的に開発可能だから後からいくらでも追加できるため余計にタチが悪い。
もちろん金儲けを否定する気はないが、客の感情を無視した商売が受け入れられる日が来ることは絶対に無いだろう。