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お前何回アライズの話するんだよって言いたいのは分かる、俺も思ってる。
だけど前に書いたレビューは感情100%で内容も散らかってて、いまいち俺の主張が伝わりにくい構成だったし、今見返すとかなり冷静さを欠いた文章になってしまっていた。
なのでこれまでのものは戒めとして残しつつ、今回は冷静に、俯瞰して、簡潔に、今一度ここに俺がアライズに言いたいことの全てを記そうと思う。
これで本当に最後にするから、お願いだから見逃してほしい。
【注意】記事の内容上ネタバレを多分に含むので、未プレイの方はブラウザバック推奨。
一応「テイルズ オブ アライズ」について解説しておくと、本作は全世界300万本を突破した大ヒット作。ゼスティリアでの世紀の大炎上からしばらく音沙汰がなく、人気低迷と言われたシリーズを再生に導いた起死回生の一本。
「継承と進化」というテーマを掲げ、グラフィックやバトルシステムは歴代シリーズから大幅な進化を遂げていて、戦闘のテンポや爽快感、演出の完成度はシリーズ随一。
なかでも注目すべきはグラフィックで、発表されたアライズのPVを見た時その美しいビジュアルに惹かれた人も多かったのではないだろうか。アトモスシェーダーによる独特のビジュアルは、間違いなくセルルックの表現としてはひとつの到達点だと言ってもいい。
2026年5月にはDLCを同梱した完全版がSwitch2での発売を予定しており、幅広いユーザー層がテイルズオブシリーズの最新作に触れられるようになることを嬉しく思う。
しかし俺は、アライズにはテイルズとして本当に大切なものが欠けいたという思いが拭いきれない。
ボーイミーツガールとか、支配者とそれに抗う者とか、なんやかんやで世界を救う物語とか、表面的には王道で良い作品に見えても、ところどころ見逃せないレベルの問題が顔をのぞかせているのだ。
まずはテイルズオブシリーズ全体の話をしておこう。
テイルズにおいて最も大切なもの…それは「物語」だ。
キャラクターたちが織りなす出会い、別れ、葛藤、衝突、決意、選択。何年経っても語り継がれるのは、バトルシステムではなく心を揺さぶる物語だ。
本シリーズが冠するその名の通り「テイルズ」とは「物語」なのだ

テイルズオブシリーズは作品ごとの世界観やキャラクターは違えど「正義と正義、信念と信念のぶつかり合い」という要素は共通している。
その多くは単純な勧善懲悪ではなく敵側にも信念や正義と呼べるものがあり、そうならざるを得なかった背景がある。
初めはただの悪人にしか見えなくても、物語が進んでいくと大切な存在を奪われた過去や、不条理を押し付ける世界への怒りといった想いを抱えていることが判明したりする。
そうしていくうちに、主人公たちの掲げる正義は本当に正しいものなのか?という葛藤が生まれ、その物語はプレイヤーに「正義とは何なのか」という問いを投げかけてくる。
絆や友情といった要素はもちろん、種族対立や差別、迫害といった重いテーマを扱うこともあり、そういった世界の中で描かれる人間ドラマこそがテイルズの核であり「らしさ」だったのは疑いようもない。
そしてアライズのテーマは「心の黎明」
黎明とは「夜明け」「新しい始まり」を意味する。
奴隷であるダナへの差別、支配者であるレナへの偏見、支配からの解放とその先にある相互理解と共存。まさに二つの世界の夜明け、新しい世界の始まりを描く物語だと言える。
人間牧場とかフォミクリーとか倫理観の終わってる設定も過去にはあったが、今回は奴隷制という社会構造そのものに問題があるため世界観の暗さ、テーマの重さは歴代でもトップクラスだった。
しかしアライズにはそのテーマを描き切るに足る物語の深みと説得力が決定的に欠けていた。
問題点は大きく二つ。
ひとつは、物語の根幹に関わるレベルの設定の齟齬があること。
もうひとつは、作品を通して伝えたいメッセージが先行するあまり結論ありきの展開になってしまっていること。

アルフェンの象徴である炎の剣は火の星霊力が具現化したもので、凄まじい威力を誇る一方で使い手をも焼くというデメリットを抱えている。
アルフェンは何度も火傷を負い消し炭寸前になっているが、そんな重傷を負いながら炎の剣を使い続けることができたのは、痛みを感じないという特異性に他ならない。
荊の呪いを受けたシオンに躊躇いもなく触れられたのも、炎の剣を振るいカラグリアを解放できたのも、すべてはアルフェンの痛覚が無いからこそなんだ。
このように「痛覚が無い」という設定は彼の象徴であると同時に物語の根幹に深く関わっているのだが、中盤でそれが破綻してしまう。
二度目のヴォルラーンの襲撃を受けた際、アルフェンの仮面が完全に砕けたことで全ての記憶と痛覚を取り戻すのだが、その後も当たり前のように炎の剣を使っている。
当然、疑問に思わないわけがないが、これに関して登場人物達はこう語る
「不思議と戦ってる間は耐えられるんだ」byアルフェン
「その胸の内に、炎の剣以上の炎が燃えているという訳だな」byテュオハリム
「ふたりの絆が深まった証。それで十分ではないか?」byキサラ
要は精神論ということらしい。
なにも俺は「いや現実的にそんな熱いもの持てるわけないじゃんwww」なんてことが言いたいわけじゃなくて「痛みを感じないからこそ使える力」という大事な設定を都合よく無視しないでほしいと言っているのだ。
通常、このような強大な力は代償を払うという制約があるからこそドラマが生まれるものだ。寿命が削れるとか、五感が少しずつ消えていくとか。アライズの場合は、それが「使い手をも焼く」というものだった。
非力な奴隷であるダナに与えられたレナに対抗し得る唯一の武器という特別性と、使う者をも傷つけるという危うさ。その二面性がドラマを産んでいたから序章のカラグリアは面白かったんだ。
なのにそれを精神論で突破してしまうと「我慢できる痛みで扱える強大な力」に格が下がってしまい、あまりにも緊張感も特別性もない設定になってしまう。
痛覚を取り戻すのはいい。しかし本来この課題を乗り越えるには「王の力で自分にかかる熱を制御可能になった」など何かしらの理由づけがあるべきで、断じて精神論で克服できて良いものではなかったはずだ。
アライズでは伝えたいメッセージが先行するあまり、その結末に至る過程を蔑ろにしている場面が多い。特に本作における「赦し」はそれを象徴している。
プレイした人なら分かると思うが、アライズの物語は「赦し合い」というテーマを掲げている。憎しみは何も生まない。虐げられてきた者達の立場が逆転したとき、それをやり返していたのでは憎しみの連鎖は終わらない。
そうした赦し合いの先にこそ、共存の未来があることを本作は伝えようとしていた。
しかし実際に描かれたのは「赦す」という行為の美しさだけで、それに伴う覚悟やその後に訪れる現実についてはほとんど触れられていない。
赦しというテーマの表層をなぞるだけでそれが内包している負の面を描かず、まるで最初からそこに着地することが前提だったかのように物語が進んでいるのだ。
だから登場人物たちの葛藤も決断も、予め決められたゴールに向かうためだけの演出に見えてしまっている。

リンウェルは一族の仇であるアウメドラを倒したあと、宿願であった復讐を選ばず「罪を罪として償わせる」「裁きを受けさせる」と言った。
アライズは物語を通して何度も「開放の先にあるもの」を問いかけてくる。
レナ人を全て追い出したその後は?
それは本当の意味で解放されたと言えるのか?
単なる社会の構造の変化ではなく、差別や対立、そんな壁を超えた先にある共存。それが本当の解放なのではないか?
つまりアライズがこのイベントで描きたかったのは
どうやって怒りや憎しみを乗り越えるのか
復讐を超えたその先にあるものとは何なのか
だったのだろう。
他でもない自分自身のために復讐をやり遂げたベルセリアとは、また異なる復讐の描き方と言えるが、一度冷静になって考えてみてほしい。
この世界における「裁き」とは何だろうか
アライズの世界には国もなければ法もない、秩序が個人の規範に委ねられる世界だ。
アウメドラはレナの大将であるスルド。両者の対立は根深く、これまで傲慢な態度で奴隷を虐げてきたうえ大量虐殺を行った外道への裁きとやらを、彼女はどのように考えていたのだろうか。
誰が裁くのか、その制度はどうするのか、リンウェルが憎しみを飲み込めたとしてもアウメドラに仲間を殺された他の人はどう思うだろうか。
それが描かれることはなく、その後現れたヴォルラーンによってアウメドラは理由も分からず殺されるという、何ともあっけない最期を迎えた。
リンウェルが殺したいほど憎んだ相手を葛藤の末に「赦す」という決断を下しても、その結果が描かれることもなければその理由も語られず、この物語になんの影響も与えなかった。
こんな具合に「赦す事が大事」という思想を提示しているだけで、その後の具体的なプロセスや社会的帰結を描いていないため、俺にはそのテーマが物語として機能しているようには感じられなかった
少し長くなってしまうので初めに整理しておくと、ここで話す問題点は三つ。

本作のラスボス「ヴォルラーン」はアルフェンと同じダナの奴隷で、黒幕であるレナの星霊に王の力を与えられた男。
これまで真実を隠し自身を都合よく利用してきた星霊を葬るため最終決戦に乱入。星霊を封印しシオンを救うために必要なレナスアルマを奪い、アルフェンとの一騎打ちに挑むも敗北。
アルフェンは彼を
道を正してくれる友や、愛する者にも出会えなかった孤独な男。
自分だって、誰だってお前のようになっていたかもしれない。
などと憐れんで赦そうとするのだが、致命的なことに作中通してもヴォルラーンのバックボーンが何一つ描かれてないため、アルフェンの赦しはあまりにも唐突に映ってしまう。
彼の過去を窺い知れるのはラストバトルの戦闘中に交わしたわずかな言葉のみ。
俺が覚えているのは、背中に振り下ろされる鞭の火のごとき痛みだ。
そして気まぐれに奴隷を殺す強者。より弱いものを生贄にして生き残る弱者。
愛だと?友だと?どこにもありはせぬわ。
彼の言葉はアルフェン達がこれまで見てきたものを表していた。カラグリアの強制労働、シスロディアの密告制度、アウメドラの虐殺。同じく奴隷であったアルフェンならその苦痛は想像に難くないのだろう。
しかし、これらはヴォルラーン自身が受けた苦痛なのだろうか?
彼がどのような人間で、何を見て、何を思い、何を感じて今に至るのか、なぜ「自分以外の全てを支配する」という思想が形作られるに至ったのかが、たったこれだけのセリフで理解できるだろうか。
他のダナの奴隷と同様に辛かったんだろうなと想像はできても、ほんの少し言葉を交わしただけで彼という人間を理解し、同情に足るほど感情移入できるはずもない。
にも関わらずアルフェンはヴォルラーンを理解し、憐れみ、赦すという結論に至っている。本来ここに説得力を持たせるにはヴォルラーンという人物をもっと深く知る必要があった。
彼が主人公の対極にあるような存在ならば、主人公と同等にもっと深く丁寧に描かれるべき存在だったのだ。
ヴォルラーンにもかつては守りたかった誰かがいて、信じた未来があったのかもしれない。アウメドラを殺害したのもただの気まぐれではなく、奴隷時代に友や大切な人を奪われ虐げられた復讐だったのかもしれない。
もし彼の過去が丁寧に描かれていればこの赦しは成立し得たし、このラストバトルは間違いなくシリーズ史に残る名シーンになっていただろう。
そういったキャラクターの背景が薄いため、アルフェンの赦しも最後の対立にも何のドラマも生まれない。

アルフェンはヴォルラーンと剣を交えながらこう言った
赦し合うことは、強さだ!
誰も生贄にならずに済むのが俺の願いだ。
「赦すことは強さ」それは正しい。しかし彼にはその理想に足る覚悟がなかった。
アルフェンは自分の理想、信念に基づいてヴォルラーンを赦したが、彼はそれを受け入れずレナスアルマごと自爆して命を絶った。
その結果、シオンを救う唯一の方法であるレナスアルマを失ってしまったアルフェンは途方に暮れ、こう言った。
せっかくここまで戦ってきたのに…必ず助けると約束したのに。
なぜシオンを助けることができなくなったのか…それは他でもないアルフェンがヴォルラーンを赦したからだ。
理想や信念を通すならば、その結果がどれほど過酷なものであっても受け入れる覚悟が必要だ。しかしアルフェンは自らの行動の結果を受け止めきれていない。
シオンとの約束を守れなかったことを後悔するくらいなら、悠長にヴォルラーンと対話などせず、彼女を救うために最善を尽くすべきだったのだ。
「赦し」とは怒りも憎しみも抱えたまま生きるという強靭な覚悟だ。その覚悟を伴わない「赦し」などただの理想論でしかない。
アルフェンには理想に伴う覚悟が足りなかった。もしくは、それすらも主人公の未熟さとして描いていたのかもしれないが…だとしたらこの先の展開は本当に正しかったとは思えない。

シオンを救う術を失ったアルフェンは、一縷の望みをかけてダナの星霊力に助けを求めるという。そして無茶だというシオンに対してこう続ける。
無茶でもシオンを救えるとしたらこれしかない。それにこれはレナも救う方法でもある。
レナの意志は決して邪悪ではなかった、何も犠牲にしないというならレナも救わないとダメなんだ。
俺はシオンのいない世界で生きたくない。もう何かの屍の上で生きるのは嫌だ!
確かにレナの星霊に邪悪な意思があったわけじゃないことは触れられていた。しかしそれが発覚したのは星霊と戦う直前だったし、それについて何かしら思案していた様子も無かった。
何よりもヴォルラーンにレナスアルマを奪われるまでアルフェンは何の迷いもなく星霊を封印しようとしていた。そんな人間が、その手段を失って八方塞がりになった途端に「星霊も救わないとダメだ」と言い出す。
アルフェンは自分の信念に基づいた行動が招いた不都合な結末を、奇跡によって帳消しにしようというのだ。
あえて言おう。
信念に基づいた行動の結果を否定することは、即ち信念を否定することと同義であると。
理想を語ることは容易いが、それが逃れられない現実によって打ち砕かれたとき、どうやって再び立ち上がるのかが最も重要なのだ。
しかし本作はその試練を経ることなく、神頼みでシオンもレナの星霊も全部救われて、アルフェンとシオンの結婚式でハッピーエンドとなる。
アライズの物語に決定的に欠けていたのは、理想のために痛みを伴う覚悟だったのだ。

DLCで描かれるのは本編から1年後の世界。その内容について発売前はこう語られていた。
「Beyond the Dawn」の名の通り、夜明けの向こう側に待っている未来と現実について、アルフェンたちの心の旅路のその後を直接描く、直球勝負の物語です。
PlayStation.Blog 日本語 『Tales of Arise』のその後を描く大ボリュームの新作DLC「Beyond the Dawn」 が11月9日(木)に発売決定! 『Tales of ARISE』のその後の世界を描く大型新作DLC「Beyond the Dawn」が11月9日(木)に発売決定! 本作についての開発経緯やゲーム内容をIP総合プロデューサー富澤祐介…
はっきり言って、直球勝負の現実はこのDLCのどこにもない。
扱うテーマは魅力的であるにも関わらず、そのほとんどは新キャラであるナザミルを取り巻く友情物語に帰結していて、他の問題は満足に描ききれていないどころか何も解決していないまま放置されている。

ナザミルはダナとレナのハーフの少女。ダナからはレナ人として拒絶され、レナからは奴隷の血が混じった半端者と蔑まれ、どこにも居場所を持てない孤独な存在だ。
設定だけを見れば彼女はダナとレナが一つになったこれからの世界を象徴するような存在で、本編のその後を描くうえで最も重要なキャラクターになり得た。
しかし実際に描かれたのは差別の構造そのものではなく、ナザミル自身の成長と自立、そして仲間との友情に焦点を当てた物語だった。
ナザミルと行動を共にする時間は、約15時間程度のDLCストーリーのうち1/3程度とあまりにも短い。数回の野営で一緒にご飯を食べて何度か人助けをしたくらいで、離脱して以降は終盤まで出てこない。
戦闘にも参加しなければ彼女が関わるサブイベントも発生せず、本編にあった野営での会話のような交流の蓄積も無いため、離脱の喪失感、敵対する悲しさ、彼女を救いたいという切実さがプレイヤー側に伝わらない。
にも関わらずアルフェン達は急速に距離を縮め、出会った翌日には「友達」「仲間」「絆」といった言葉を口にするため、プレイヤーとの温度差が生じてしまっている。
友情や絆を否定するつもりはない。それが凍り付いた心を溶かしてくれる展開は俺も好きだが、それはそれに見合った時間と積み重ねがあった場合の話だ。
仲間とのすれ違いや対立を描くには、それなりの時間をかける必要がある。しかしそれはDLCの短い時間で描き切れるものではなかった。
発売前、ナザミルは「プレイヤーに立ちはだかってきたスルドの娘」と予告されており、父親は誰なのかと様々な予想が生まれていたが、蓋を開けてみれば本編に登場すらしていないキャラだった。
彼女の父親はガナスハロスの元スルド、ウルワギル。本編開始時点で既にヴォルラーンに殺害されており、DLCでも容姿は不明、回想もわずかで人物像も全く掘り下げられなかった。
「役に立たなければ価値がない」という思想をナザミルに植え付けた元凶であり、それがDLCでの騒動の引き金にもなったのだが、こういった現在のナザミルを形作った背景が全く描かれていない。
よってナザミルの過去や彼女の抱える孤独は単なる情報でしかなく、断片的なそれらから推し量る必要があるため物語という体験として我々プレイヤーには届いていない。
ナザミルとは関わる時間が短く感情移入がしづらいのだから、せめて彼女の父親はガナベルトやヴォルラーンなど、本編での因縁を引き継ぐようなキャラクターにするべきだったのではないだろうか。
そうすればプレイヤーのナザミルに対する印象も「なんかよく知らないやつの娘」ではなく、何かしらの感情を抱いただろう。
それだけでなく、アルフェン達がダナを解放した一方でナザミルの父親を殺していたという因縁も生まれるため「解放のための犠牲は肯定されるのか」という正義の二面性にも触れられる。
そうすることで、非常にテイルズらしいテーマを描くこともできたのではないだろうか。
ナザミルはアルフェン達に喜んで欲しい一心でとある計画を実行するが、そのやり方は拒絶されてしまい「喜んでもらえなかった」「役に立てなかった」と自暴自棄になったことでアルフェン達と交戦する。
初めてできた友達を自分の手で傷つけてしまった自己嫌悪と、嫌われて友達を失ってしまうという恐怖に耐えきれず、心を抑えつける仮面を被り閉じこもってしまう。
ラストバトルではナザミルの暴走を止めるために、アルフェン達からこのような言葉を掛けられている。
「独りの辛さ、失うことの怖さは私もよく知ってる。それでも私はあなたに踏み出してほしい。この世界には素敵なこともたくさんある。それをあなたに知って欲しい。」byシオン
「君はずっと自分が何者なのか、誰かに決められてきたのだろう。だが、そろそろ自分で決めても良いのではないか?」byティオハリム
「ナザミルが怖いのは自分を持たなかったからだ。今からでいい、それを作るんだ。」byアルフェン
OPテーマをバックにラスボスと戦うという非常に熱いシーンではあるが…
たった数日、たった数回一緒にご飯を食べただけの相手に優しい言葉をかけられて、自分という存在を肯定できるのかは甚だ疑問である。
「この世界には素敵なことがたくさんある」と言われても、生まれてからずっと虐待や迫害を受け続けてきた彼女にとってこの世界は地獄でしかなく、そんな実感の伴わない言葉は何の慰めにもならない。
ナザミルに本当に必要だったのは「言葉」ではなく「経験」だ。
誰かから感謝されたこと。誰かと一緒に過ごして幸せだったこと。誰かと関わることで自分の世界に光が差したこと。
仲間からの言葉はあくまできっかけであるべきで、こういった経験の積み重ねを反芻して、自分の意思で立ち直る展開の方がグッとくるものがある。
とはいえ、それをやるにはDLCという継ぎ足しの内容では圧倒的に時間が足りない、積み重ねが足りない。
ナザミルはダナでもレナでもない異質な存在であると親から否定され続け、社会から差別や迫害を受けてきたが、それでもずっと誰かに認めてもらいたかっただけの普通の少女だった。
誰かに必要とされるために他者に依存して生きるのでなく、ただそこにいるだけで良いという存在の承認。自分自身のために生きられるようになることが、ナザミル個人への救済だった。
そして、戦いの末にナザミルは仮面を自ら外した。

友達が教えてくれた、もう抑えつけなくていい。
私はただ在ればいい、こんなにも嬉しいなんて。
そう言って笑顔を見せたナザミルだったが、それで彼女の生きづらさは本当に解決されたのだろうか。
確かに他者への依存が彼女の生きづらさのひとつであることは間違いないが、その根本にあるのはハーフという異質な存在ゆえに差別や迫害を受け、社会のどこにも居場所がないという逃れようもない現実だったはずだ。
何も悪い事をしていなくても、ただ生きているだけで理不尽に石を投げつけられるのが差別や迫害の現実であって、それは本人の心の在り方でどうにかなる問題ではない。
差別とは、理不尽とは、当事者が自己肯定できれば解決する問題ではないはずだ。
そんな当たり前の現実を描くはずの物語の着地点が「自分を持たないから」「仲間や友達がいるから、独りじゃないから大丈夫」などというのは、いささか的外れであると言わざるを得ない。
ナザミルは本来ならば相互理解や共存の困難さ、社会の構造が産んだ差別の残酷さを体現する存在になり得たはずだが、実際に描かれたのは個人の心の在り方や生き方の問題だった。
「未来と現実を描いた直球勝負の物語」と銘打ち、差別という重いテーマに挑んだことは評価するが、それを真正面から描き切れず最終的には個人の救済に帰結してしまったのは本当に残念だ。
アライズはゲームとしては間違いなく進化したが、シリーズが紡いできた重厚な物語を継承できていたとはとても思えない。
アライズの物語は感情の説得力よりも演出の勢いで押し切っている場面が多く、表面的には王道で良い作品に映っても、細部を見ていくと設定の齟齬や結論ありきで過程を蔑ろにした雑な展開が見えてくる。
もちろん、本作が提示した「赦し」や「共存」という理想そのものを否定するつもりはないが、それを説得力のある物語として成立させるだけの過程、痛みや覚悟が描かれなかったことが残念でならない。
一言で締めるならば「ゲームとして最高の素材が揃ってはいたものの、物語の説得力が欠けていた」だろうか。
次回作がどうなるか…それ次第で「アライズ」は進化の途中と呼ばれるか、シリーズの転換点と呼ばれるかが決まるだろう。
俺の人生に多くの物語を与えてくれたテイルズは、まだまだこんなものではないと信じていたい。
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